ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

当たり前


広島の來山です。

上村さんの平成から令和をつなぐタスキ、受け取りました。
「お母さんはいいと思うよ。お父さんに自分で話してごらん。」上村さんがお母さまから受け継いだ言葉、 子どもへの信頼と、いざという時に頼りになる愛情深いご主人の存在があるからこその、子どもたちと 父親をつなぐ素敵な言葉ですね! 
父親の男の世界感や知識、考え方を必要としているのでは、と最近ひしひしと感じようようになった息子に 試してみたいと思います。

私は息子が私の言うことをちっとも聞いてくれないことに悩んでいました。 
それは裏返せば、私が親の言うことを子どもがきくことは当たり前だと思っていたからでした。

それまで私自身、母が教えてくれることは、世の中でも当たり前に行われていることで、それはよいことで、それはできなければならないことだと思って過ごしていました。
私の中で、すべてをよいか悪いか判断する母の声が聞こえてくる。そんな感じでした。
今にして思えば、私は一生懸命、私のやりたいことの中から、その“当たり前”に合うことを選択しながらとても狭い世界の中で生きていました。 私はそうした“当たり前”を子どもに教えることが子育てなのだと無意識に思い込んでいました。
でも、子どもたちは思うようになってはくれませんでした。特に息子は、言えば言うほど反抗する力も強くなっていきました。

ある時、私は自分の心の声に驚きました。
(これまでずっと私は母の言うことをきいてきた、今度はあなたたちがきく番じゃないの? そうじゃなかったら私の言うことは誰がきいてくれるの?)
理由はわからなかったけれど、その言葉にハッとしてそれがいつまでも私の中に残っていました。

私は息子に対する悩みを解決するにはどうしたらいいか色々と探して、ハートフルコミュニケーションの講座に参加したいと思い立ちました。でもそのためには、他県に行き、しかも宿泊する必要がありました。
勉強とはいえ、母親が子どもを置いて自分の好きなことをし、まして宿泊をすることは、私には超えることのできない壁でした。
そのリスクを冒してしまうことで、主人との関係が悪くなり、我が家のささやかな幸せにひびが入ることを恐れたからでした。
そう思っても、息子に“当たり前”を求めることで、私と息子の関係はこじれるばかりで、
このままではいつか私は息子を追いつめてしまうかもしれないという不安でいっぱいでした。
藁にもすがる思いで、ハートフルコミュニケーションの講座に参加し悩みを解決するすべを得たいと願いました。

私は勇気を振り絞って、
「どうしても行きたい講座があるので、他県で、宿泊を伴うのだけど、参加させてほしい」と主人にお願いしました。
すると、「いいんじゃないの。行って来たら・・・」と何でもないことのように、さらりと返事が返ってきたのです。 

えっ? いいの? 二日も家を空けても? 子どもの面倒見させても?
力が抜けました。
愚かしくも、私が初めて、自分の当たり前が主人の当たり前ではないかもしれないと気づいた瞬間でした。
てっきり、主人は反対するだろうと思っていましたが、それは私の思い込みだったのです。

講座に参加して家に帰ると、初めて二日も離れて過ごした家族が私の帰りを待ってくれていました。
私は“当たり前”を破ってしまったけれど、家族は怒ることもせず問題もなく過ごし、
私は学んだことによる充実感を得ていました。

「私の中の“当たり前”って、何なのだろう?」
私の頭の中でこの問いがめぐっていました。
そして、それは私が安全で、よりよく成長するために、母が大切にしていた母の価値観だと 気づきました。
母と私の“当たり前”には似ているものもあるけれど、違うものもあるのに、
私は母とは違う“当たり前”をある意味悪者のように考えてしまっていたことにも思い当たりました。
でも、価値観は人によって異なり、それをよいとするかどうかは私の自由なはずなのです。
だとしたら、今度は私の家族が仲良く穏やかに過ごすことができるように、
今ここにいる私を含めた私の家族それぞれの価値観こそ大事にすればいいのではないかと思い始めました。

その頃から、段々と母の価値観に縛られなくてもすむようになりました。
そう、私がハッとしたあの言葉への答え。
私は母の言うことをきいてきたけれど、
今度は私の当たり前と家族それぞれの当たり前のちょうどよい着地点を探しながら、
私たち家族の当たり前を築いていけばいいのです。
そして、私の言いたいことは十分に家族で話し合えばいいのです。

その後本格的に、広島から大阪に通って月に1度のハートフルコーチ養成講座を受けるようになりました。
ある時、子どもを置いていくうえに、お昼の用意など子どものことが十分にできないことで、講座に行くことをためらっていた私に、
「俺はやりたいことができたら、人に反対されようが、どんなことがあってもそれをやるんじゃ。
じゃけん、お母さんがやりたいことをやるけーって、そのことで昼飯がなくても俺はお母さんを恨んだりはせん」
と息子に一喝入れられたことがありました。
私のすることで家族に迷惑をかけないようにしたい私に対して、
息子は迷わず自分のやりたいことを選択することに価値を感じているのです。
それ以降、私の住んでいた“当たり前ミクロワールド”を、それには全く収まらない息子のために、
息子がそこから飛び出してもいい程の“当たり前ワールド”に拡張する努力をしていくうちに、
息子との関係は徐々によくなっていきました。

最近、こんなことがありました。
息子は中型バイクの免許を取りに行きたいと言いました。私は、バイクは危ないので、免許を取る資金は出せないと断りました。
すると、彼は自分でバイトを見つけて働き、自分の稼いだお金でとうとうバイクの免許を取ってしまったのです。
そして、自身も大学時代からバイクに乗っていた父親に半分前借し、バイクも手に入れました。

私だったら、もし同じことを母に相談して同じ理由で母に資金援助を断られたら、やすやすとあきらめていたでしょう。
でも、息子は母親が許してくれなくても、自分の力で自分の欲しいものを手に入れるのです。
夫も許しているようだし、法に触れるわけでもないし、人に頼らず自分の力だけで免許取得に 向かって頑張る彼のガッツにふれ、
もう彼も18歳、自分の行動には自分で責任を持つ年ごろ なのかもしれないと思うに至り、
私の“当たり前”はまた少し広がったのでした。

では、神戸の五十君さん、タスキを繋ぎます。

広島県/來山美和子 

 




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