ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

何がどうなっても


こんにちは、神奈川の松下です。
楠野さん、凸凹がかみ合った素晴らしいチームワークのご家族ですね。
楠野さんの暖かい眼差しも印象的でした。

我が家では、娘が中学生になり、新学期が始まって1か月半が経ちました。
娘の場合は小学校時代と友人関係が変わらないので、それ程でもないかと思ってましたが、
やはりありました、中一ギャップ。

教科毎に変わる先生、部活、朝練、極端に短いランチタイム、遅い時間までの塾など、
環境の激変についていくのは大変で、想像以上に忙しい。
傍で見ていても、息が詰まる感じがします。
娘も好きなことしたり、ボーっとしたりする時間がない!と早々に悲鳴を上げました。

特に新年度から始めた平日週2回の塾が大変そうです。
そこは進学塾で、毎回ミニテストがあります。
4月を少し過ぎた頃から、職場にいる私に「ミニテストで点数とれなかったらどうしよう」
「塾に怖くて行けない、お腹が痛い」と頻繁に連絡が入るようになりました。
ブルブル震えるマークのスタンプも付いています。

「大丈夫だよ」となだめること数回。
「もういやだ」の一言が。授業は面白いけどミニテストが嫌だというのです。

なぜこんなに過剰に不安視するのかなと考えてみると、思い当たる出来事がありました。
4月の最初に一度、赤点を取って塾の先生から発破をかけられ、
次のテストでは本人が頑張って勉強して、連続して満点を取りました。
努力をしたことを認めたくて、私が大袈裟に万歳して喜んだことが逆効果だったようで、
その後「怖い怖い」に拍車がかかってしまいました。

忙しくて十分な勉強をする時間がないかも、間違えたらどうしよう。
それは、満点を取れなくてお母さんをがっかりさせたくない、という
プレッシャーに繋がっているようにも感じました。
どうやら、いい点を取らないと認めてもらえないのでは、
という誤ったメッセージが伝わってしまったようです。
ましてや、これがずっと続くのかと恐怖の連鎖に陥ってしまったのかも。

勉強は、本人の目的意識に沿って、本人が行い、その結果は本人が引き受けるもの。
いわば、本人の課題であり、責任です。
「責任」を学ぶプロセスでは、親は褒めすぎない、喜びすぎない方がよい、と
ハートフルコミュニケーションで学んだことが脳裏をかすめました。

そこで、ある日ラインでメッセージを送りました。
「テストの点が全てではないよ」
「だんだんやり方やペースがつかめてくるよ」
「一度に全部できなくても、できることを一つずつやっていけば、いいんだよ」
「それでも、もし。塾が合わなかったら、塾を替えてもいいんだし」
と送ったら、

「うわぁーん」
「(感動)」
「塾替えてもいいの?めっちゃビックリ!」
との返信が。

続けて、ふと頭に浮かんできて、
「何がどうなっても、Aちゃんが大好きだよ!」と伝えました。

そう。何がどうなっても。
テストの点とか、どの塾や学校に行っているかではなくて。
今、そこにいるあなたのことが大好きだよ。
そうしたら、「大好き♡」との返信が返ってきました。

今までも「大好きだよ」とは折に触れて言葉にしてきましたが、
「何がどうなっても」のフレーズで伝えたのは、初めてでした。
なんだか、子育ての原点に立ち戻った思いでした。

娘が小学生の頃、よく母娘でしていた「ごっこ遊び」。
半年以上途絶えていましたが、久しぶりにしたいと言うので、
その夜、これが本当に、おそらくは最後の「ごっこ遊び」を二人で楽しみました。
子どもから大人への、まるで卒業の儀式のようでした。

これを機に、ピアノのレッスン曜日を変えてもらったり、
朝の5分や学校の空き時間を利用して勉強したりと自分なりに工夫し始めたようです。

そうして5月連休を終えたある日。
朝練、学校、部活、塾と終えて帰宅した娘の顔が、違って見えました。
今まではげんなり疲れ切っていたのですが、きりっとして充実した顔に。
まるで新入社員がある日を境に社会人の顔になるように。
ちょっとつかんだみたいだね、と声をかけたら、「一山越えたみたい」と返答がありました。

私も、仕事に加えて始まった連日のお弁当作りに、ちょっぴり疲れ気味。
帰ってくると、お互い「今日も頑張ったね」「頑張っているね」とハグし合い、
健闘を称え合っています。

まだまだ、これから二山も三山もあると思いますが、
娘の中学校生活が実りあるものになるよう祈りながら、
長野さんに襷を渡します。

神奈川県/松下いづみ 





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