ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

ただ聴くことしかできなくても


埼玉の上村です。
母の最期と重ね合わせながら名和さんのブログを読ませていただきました。
名和さんとお義母さまが手を携えて奏でた最期の聖歌。旦那さまのお母様を慈しむ心。
お義母さまは今も遠くで微笑んでいるに違いありません。

15年以上前のことになりますが、私の妹はうつ病と闘っていました。
発症は20代後半。気分が落ち込んで動くことができなくなる。最初それがうつ病の症状であることを妹自身も気づいていませんでした。
両親と妹は地方に住んでいます。私は都内に暮らし、その頃はふたりの息子がまだ小さかったのでなかなか実家に戻ることもできず、心配しながらも妹のことは両親任せになっていました。病気がわかり実家に戻って両親と暮らす安心感がある一方、終わりが見えない病。本人の苦悩、両親の疲弊。そこには言葉では言い尽くせない日常がありました。
妹は躁うつ病と診断されました。この病気はいつも気持ちがふさいでいるかといえばそうではなく、とても元気で活動的な時期もあります。そんなとき聞こえてくる電話の声はとても生き生きと快活さにあふれ、妹の話は止まりません。話しても話しても話題は尽きず、どれだけ話しても話足りないといった具合です。あれやこれやとお互いに話しながら、心の中で「こんなに楽しそうな妹の声が聞けてよかった」と安堵するのです。

ところが、うつ症状が出始めるとそうはいきません。大声で怒鳴ったり物に当たりちらしたり、それは病気の症状の一つでもありましたが、抑えることができないさまざまな感情の矛先は両親や歳の離れた姉に向かっていき、家族の中で私だけが妹の話し相手となっていきました。
夜中に着信音が鳴り響きます。深夜12時、1時というのは当たり前で、そこから1時間、2時間、3時間…妹が受話器を置くまで私は話を聴き続けました。
苦しみ、悲しみ、焦り、怒り…その中に織り交ぜる自分を鼓舞するような楽しい話題…そして時としてこみあげてくる絶望。
「苦しいんだよう。死にたいんだよう。生きていたってしかたないんだよう」
突如堰を切ったように泣きむせぶ妹に私は受話器を握り締めることしかできませんでした。

そうして夜中の電話が頻繁になると、今夜もまた電話がかかってくるかもしれない。いつまでこんなことが続くのだろう。話を聴くことに意味があるのだろうか? そんな思いにさいなまれ私自分が切羽詰まっていきました。
どうにも自分の感情が抱えきれなくなると私は夫や友人、公共の心理相談などの手を借りて心のつかえを吐き出しました。
夫は私の話に辛抱強く耳を傾けてくれました。友人は一緒に泣いてくれました。心理相談の先生は「聴いてあげるだけでいいんですよ。妹さんの力になってあげられています。がんばっていますね」と声をかけてくれました。
とにかく吐き出さなければ。吐き出さなければ自分がつぶれてしまう。そんな思いで話し始めた私ですが、話し終わる頃には「わかってもらえた」「これでいいんだ」と肩の荷を下ろすことができました。

それまでの私は攻撃の対象となってしまう両親や姉に対して申し訳ないという気持ちから、「妹の話を聴く役割を担わなければいけない」、そんな思いがあったのかもしれません。
けれど私自身が、どうにもならない感情を人に話すことで安心でき、たとえ一時的にでも心のもやもやを手放せるとわかってからは、たとえ問題を解決することはできなくても、話すことで少しでも妹の気持ちが楽になるのなら、話を聴こう。私がまわりの人にしてもらったように妹の話にじっと耳を傾け、一緒に泣き、あなたは十分がんばっているよと言ってあげられればいい。そんなふうに思うようになれたのです。
「いつでも必要なときは言ってね。私はここで待っているよ。味方でいるよ」
そんな気持ちでした。

妹は8年間病気と向き合い、ついに社会復帰を果たしました。その道のりは決して平たんなものではありませんでしたが、彼女はそれを乗り越え克服し自ら道を切り開きました。
仕事に戻ってからは年金暮らしの両親の生活を支えてくれました。母は3年前に他界しましたが、「今までの恩返しだよ!」と言って、両親をあちらこちらの温泉に連れて行ってくれたのも妹でした。
「あけ姉ちゃんがいてくれたから、私は生きていられた」
妹が私に言ってくれた言葉です。今でも思い出すたびに目頭が熱くなります。
私が妹にしてあげられたのは、ただ聴くことだけでしたが、それでも妹にとってそれは命を繋ぐことでした。
『子どもの心のコーチング』(菅原裕子 著)の中に〈聴くことは、子どもの存在を肯定する行為である〉と書かれてあります。
存在の肯定。苦しい日々の中で妹が見つけようとしていたのは『自分自身の
存在の肯定』。これだったのではないか。今さらながらにそう思い至ります。
だからこそ、聴いてあげられてよかったと心から思うのです。

日頃の私は、特に子どもと接するときは極力子どもの話を聴こうと思うのですが、あれれ? 気がつくと自分がマシンガントークをしている、なんてことがよくあります。話を聴くというのは一筋縄ではいかないものですが、それでもだれかに「いま、時間ある?」と聞かれたら、話を聴こう!と意識します。なぜならそれは妹が私に教えてくれたことだから。
「聴く」ことはときに命を繋ぐほど大切なことだと知っているからです。

埼玉県/上村明美 





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