ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

父親との大切な時間


東京の本藤です。
なかみぞさんのブログを読んで、お嬢さんたちそれぞれの良いところをしっかり見ながら向き合っていて素敵だなぁと思いました。お母さんの愛はお嬢さんたちにもきっと伝わっています!

さて、先日、都道府県往来解除のタイミングで思い切って実家に帰省しました。
元々実家の用事で5月上旬に帰省予定だったのが、空路がほぼ閉鎖となってしまい、2ヶ月待っての帰省です。感染予防に細心の注意を払っての搭乗では他の乗客の緊張感まで伝わってきましたが、空港や機内でのしっかりとした安全対策に安心し、これまでの「当たり前」だったことが当たり前ではないことに感謝しながらの移動でした。そして、半年ぶりの家族との再会には思わずホロリと涙も出てしまいました。

沖縄へ帰省するというと羨ましがられることも多いですが、年に数回の帰省ではここ10年くらい、空港と実家の往復がほとんどです。実家の手伝いや家族との時間を大切に過ごしたいと思い、特に最近優先していることは「父の話を聴く」ということ。実家の近くに姉がいてよく訪ねてくれていますが、時々帰省する立場の私だからこそ話しやすいこともあるようです。

最近の父は、母が数年前に他界して以来寂しさがどんどん大きくなるばかり。厳格で完璧主義の父が母に厳しく当たる姿を見てきた娘としては、仏壇に話しかけないでもっと優しくしてあげればよかったのにーなんて思うことも多いです。でも一人になったからこそ振り返ることも多いのだろうと感じ、しっかり受け止めよう、そう思って父の話を聴いています。

今回もいつも通りに、いろいろな話が出てきます。
「あの時○○だったよね。覚えている?懐かしいねぇ」という父からの投げかけからいつも話が始まるのですが、大抵最初は私が幼かった頃の話です。留学中の父が家族をアメリカに呼び寄せた頃のことで、私は1歳から3歳頃です。プレスクールで仲良くなったアメリカ人の女の子といつでも一緒だったこと、クリスマスの頃デパートでサンタさんの膝に乗せてもらって写真を撮ったこと…。動くサンタさん(正確には着ぐるみのおじさん)がとても怖くて大泣きしたことはよく覚えているのですが、それ以外のほとんどが私の記憶にはないものばかり。でも父が何十回も語ってくれるおかげで記憶として刷り込まれ、貴重な思い出になっています。嬉しそうに語る父を見ながら、「そうだったねー、覚えているよー」と言ってしまう、そんな会話が続きます。

今回は久しぶりなこともあって、父の話は止まりません。いつも父の記憶力に驚きつつ、「自分史を作ってみない?」と父に提案してみたのですが、「人に自慢できるような人生じゃない、こうやって聴いてもらえれば十分だから」とあっさり言われてしまいました。
そこで父の話を記録してみようと思い、パソコンに向かいながら話を聴くことにしました。というのも、母の時に後悔したことを思い出したからです。母が亡くなるまでの約3年間は毎月帰省して母とたくさん対話してきたのですが、聴くだけが精一杯で書き残すことができなかったのです。そんなこともあり父の話を記録してみよう、そう思ったのです。

父が懐かしそうに語る話を活字に起こすうちに、ふと訊いてみたいと思うことが出てきました。
「父の幼かった頃ってどうだったの?」「戦死した祖父はどんな人だったの?」

沖縄戦時下は幸いにも疎開していましたが、戦後は沖縄に戻って大変だったということをよく聞いていました。ただ、もう少し詳しく知りたい!と思っても、きっと辛い話はしたくないかも…と思ってずっと避けてきたのです。
折しも今回の帰省中に、戦後75年目の「慰霊の日」を迎えることになりました。地元の新聞やテレビ局の特集で、戦争体験者が減っていく一方で新たに自分の経験を語り始める高齢の方々がいることを知り、一歩踏み込むことにしました。

祖父の仕事で住んでいた大阪から熊本に疎開したこと、疎開先で家族を支えるために靴磨きをして働いたこと、そして、終戦後沖縄に戻ったら、一面の焼け野原と収容所の光景を目の当たりにしてショックを受けたこと…。これまで断片的だった話がつながり、パズルのピースがうまっていく感じです。当時の情景が映像化されるようで、泣きたくなる想いが溢れました。ただ、父はその時々で楽しかったことや嬉しかった話もたくさん記憶していて次々と話します。祖父と行った銭湯の帰りに干しバナナを買ってもらい嬉しかったこと、疎開先の小学校の先生が分けてくれたおにぎりがとてもおいしかったこと。微笑みながら嬉しそうに話してくれる父を見て、ほっとしました。

「周りに助けてくれる人たちがいたんだよ、だからこそ乗り切れた。感謝の気持ちでいっぱいだったから頑張れたんだよ」という父の言葉の力強さを感じるとともに、これまで知らなかった父親の人生を改めて深く知る機会になりました。

今回、父の話を聴きながら気づいたことが2つあります。
1つ目は、「書く」という作業が伴ったことで、ニュートラルな気持ちで丁寧に訊くことができたということです。以前はこんなこと訊いたら悪いかな…と躊躇っていたことでも、「訊き方」次第で深い対話ができることがわかりました。そして、2つ目は、「聴いたこと」を「書くこと」によって、父が何を考えどう行動を起こしたか、そして、その背景にあったことから、父の価値観や考え方のベースになっているものが見えてきたことです。それは、私自身が育ってきた環境を振り返るような、また、いま私がぶつかっている子育てや仕事での苦悩に対して父がエールを送ってくれるような、温かさを感じ、父への慈愛と尊敬の気持ちが自然と溢れてきたのです。

普段、父とはSMSなどで「元気?」「ご飯食べている?」と言葉短く聞き合う程度なのですが、帰省した時に一緒の時間を過ごしながら父の話を聴くことで、私も心満たされる幸せな時間を過ごすことができます。
今回の帰省で、父が経験してきたことを残したい、そして、私だけに留まらず孫である息子たちにも伝えたい、とより強く思うようになりました。また次の帰省の時に父の話をゆっくりじっくり聞きながら、父との時間を大切にしたい、そう思っています。

次は、山田さんにタスキをつなぎます。どうぞよろしくお願いします。

東京都/本藤克子 






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