ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

至福の時間


兵庫県の名和です。
やまださんのブログ「自分で決める」を読み、つい先日、娘が「自分で選択したことは、たとえ上手くいかなくても<学び>があるよね。」と話していたことを思い出しました。息子さんが小さい頃から「自分で決める」ことを見守っておられるなんて素敵です!

さて、私は週に一度、85歳になる実家の母と電話で話をしています。それは、私にとって<至福の時間>です。母は聞き上手で、「うん、うん。」とよく聞いて、丁寧に話を理解してくれます。なので、恥ずかしながら、未だに「ねえ、聞いてくれる? 実はこんなことがあってね…」という具合に、嬉しかったこと、腹が立ったこと、悲しかったこと…なんでもかんでんも話して、私がスッキリさせてもらっているのです。「いつも、ありがとう。お世話になる一方の娘やね」と言うと、「いやいや、この歳になってもお役に立てると思うと、もうちょっと生きようか、と思えるよ」と言ってくれます。

そんな母とのかかわりの中で、ひとつ、不思議な体験をしたことがありました。
ずいぶん昔、実家へ一泊した時、母はまだ幼かった孫たちが寝付く前に絵本の「読み聞かせ」をしてくれました。私も川の字に布団を並べて横になっていたのですが、母の声があまりにも懐かしく、「あっ、これ、この感覚…知ってる」と感じたのです。遠い昔に確かに出会ったような幸福感がこみ上げ、温かな涙が頬をつたい、満たされたまどろみへといざなわれ、いつの間にか眠ってしまいました。

その後、ハートフルコーチ養成講座で「愛すること」をテーマに学んだとき、「お母さんに愛された経験はありますか?」との質問を受けました。「私が幼い頃、毎晩のように絵本の読み聞かせをしてくれていたような気がします」と答えると、「気がします…とは?」と聞かれ、この話をすると、「覚えていなくても、愛された感覚が残っているのですね。読み聞かせのこと、ぜひ、お母さまに聞いてみてください」と言われました。
何年もの間、全く聞き忘れていたのですが、最近、母と共有できる時間がどれほど貴重なものかをひしひしと感じるようになり、どうしても聞いておきたくなりました。
そこで母に、不思議な体験の話をしてから、「私が幼い頃、ひょっとして、絵本の読み聞かせをしてくれてた?」と聞くと、「してたよ、毎晩。あなたが喜んでなかなか眠らないから、何冊も読んだわ」と。そして母は「その時間が私にとって<至福の時間>だったの。あなたと二人っきりの」と。

昭和の中期に嫁いだ母は、舅、姑、小姑が同居する大家族の中の「嫁」としての立場でした。どの人も良心的な人たちでしたが、母は24時間、役割意識と気遣いの中で暮らしていました。我が子が生まれても、抱っこしてあやすのは姑、母乳の出が思わしくない母に代わってミルクを飲ませるのも姑や小姑だったそうです。父は高度成長期の企業戦士で帰宅は常に夜中でした。母は、掃除、洗濯、食事の支度を姑と共に仕事のようにこなしました。
そんな母は「ちょっと、めぐみを寝かせてきます」と大義名分を立てて私を寝室へ連れて行ったそうです。添い寝しながら幼い私に絵本を読み聞かせ、「ずっとこの時間が続けばいいのに…」と思ったと話してくれました。
三つ違いの妹が生まれるまでのことなので、私は何の絵本を読んでもらったのかはもちろんのこと、そんなひとときがあったことすら覚えてはいませんでした。
でも、不思議なことに、無意識が、愛されたことを「幸福感」として覚えていたのです。

「ああ、やっぱりそうだったのね。幼い私を慈しみ、お母さん自身の心も満たされ、絵本を介して<至福の時間>を共有していたのね」
すると母が言いました。「ありがとう。良い話を聞けたわ。私は、あなたが幼かった頃、大家族の中で何もしてあげられなかった…と後悔してたの。一つでも、あなたの喜ぶことが出来ていたのだと知って、とっても嬉しいわ」と。

母が後悔と罪悪感をこんなにも長い間、持ち続けていたとは知りませんでした。そのときふと思い出したのが、私が独身でまだ二十歳代だった頃に母に放った一言です。
珍しく意見が対立したときに、
「私の幼い頃のお母さんのイメージは、青い服を着て後ろを向いて台所に立っている人。抱っこしてもらったことも思い出せない」と。私が発したこの言葉に、母が辛そうな表情を見せたのを今も覚えています。あの頃の私は、自分のことで手一杯で、母を慮る余裕などまるで無かったのだと思います。

今思うのは、私もまた母と同様、子育てに後悔と罪悪感を持つ一人の母親であったということ。レッスンも練習も無くいきなり本番の子育て。おかれた環境も子どもの気質も一つとして同じものはなく、マニュアルがないのもまた、子育て。なのに、待ったなしで子どもは大きくなっていく。振り返れば、あれもできなかった、これもやらなかった…と。
母の「何もしてあげられなかった」という言葉に、私は溢れんばかりの愛情を感じました。それは、私自身も母親としてたくさんの経験を積み、母に共感するからに他ならないと思いました。「何もしてもらわなかった」どころか、母は「愛すること」を余すところなく教えてくれた人だと断言できます。
はからずもこのやりとりで、母の後悔と罪悪感が少しでもほぐれたなら、ちょっと恩返しできたかな…とこの上なく嬉しく思う私です。

母と共有する<至福の時間>。これからもずっと大切にしていきたい…。これが、愛された感覚として無意識の中に残るならば、これから先にどんなことがあっても、最後の日までお互いの人生を支えるだろうから。

上村さんへタスキをつなぎます。どうぞよろしくお願いします。

兵庫県/ 名和めぐみ 





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