ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

筋肉痛


東京の楠野です。
五十君さんブログを読んで心が震えました。自分ではどうにもならない現実に直面して葛藤の末にたどり着いた、ひとまわり逞しくなった自分。現実は変わらないけれど、その現実を受け止められる自分に変わることはできる。いぎみさんの体験はそのまま私自身の勇気へと変換されました。心からのエールと感謝を送ります。

新しい自分になるための葛藤って、筋肉痛みたいなものだなと常々思っています。
激しい運動をすると筋肉痛になりますよね。なんとも耐えがたい鈍痛。あれ、壊れた筋繊維を自己修復機能が働いている証拠だそうです。一度筋肉は壊れ、再生される時に筋肉が成長する。つまり、成長のためには一度壊れる必要があり、修復するのに痛みを伴うのです。
痛いというのは成長の過程で避けては通れないものであるけれど、紛れなく成長に向かっている証。

シンドイなと感じる時、筋肉痛をイメージするようにしています。この辛さ苦しさは、自己成長するためにもがいている証なんだ。痛みは徐々に引いていき、この葛藤の先に必ず新しい自分が待っているんだと。

ハートフルコミュニケーションと出会ったのは、それまでの人生で最も大きな挫折を体験し、もがいていた時でした。

それまで順風満帆、女性の地位を確立するんだ!と勇しく仕事に取り組んでいた30代後半、そのまま課長職に昇格。実績を積んでいた部署でのスライド昇格だったので仕事も部下も何の問題もなく、この部門で歴史を作るぞと意気込み、2年の間に新しいことに次々挑戦していた矢先、突然今までのキャリアとは関係ない部署への異動辞令。
今となればマネージメント力を磨く機会を与えられたわけですが…当時は異動させられたという敗北感に頭と心は占拠され、ズタボロのお粗末な状態で、なかなか気持ちを切り替えることができないでいました。
ただでさえ諸々問題を抱えていた部署は、そんな私の後ろ向きな態度が引き金となって、部下の不満が爆発。13人の組織は真っ二つに割れてしまいました。
もう12年前のことですが、そこでの2年間の経験は今でも振り返るたびに冷や汗が出ます。

そんななか、大阪に出張の機会ができました。少しでも事務所にいなくて済むなら…とにかくこの場から逃げたいと、新幹線に飛び乗りました。
渦中からどうやったら抜けられるのか、暗中模索の状態で、夜も満足に眠れず、心療内科に通院し始めた頃でした。
仕事を終え、帰りの新幹線まで少し時間があったので、梅田で事務所を構える公認会計士の友人を訪ねました。突然の訪問にも関わらず「おー、ちょうど今ヒマだった」と優しいウソをつきつつ大歓迎してくれ、時間にして30分とにかく私の話を相槌を打ちながら聞いてくれました。私が心の内を全部吐き出し切ると、「菅原裕子さんって人がいてな…」とiPadを取り出して「養成講座をオススメするわ」というので、藁をもすがる思いで、iPadを奪い取るようにその場で申し込みをしたのでした。
帰りの新幹線の中でハートフルコミュニケーションの活動を調べながら、ハテ?子育て相談?私が悩んでいるのは部下のマネジメントなんだけどなー?と若干引っかかりつつも、今の状態から脱出できるならもう何でも良いです!と半ば流されるように飛び込んだのが始まりでした。

それまで何でも自分でこなしてできることを武器に先頭に立ち走るスタイルだった私は、まったくの未経験の仕事を前に、今のやり方を直感で否定して、一人で頭で考えたやり方をメンバーに押しつけていました。すぐに結果を出して認めてもらいたいという焦りばかりが募っていたのです。当然のことながら、何をやっても上手くいかないを繰り返すことになりました。

もはや私自身の力では修復不可能な状態になってしまった部署を2年後、責任を取る形で異動しました。
今までの自信は脆くも崩れ去り、満身創痍の悪循環。うまくいかない苛立ちを抱えながら、自分の思った通りに動いてもらう難しさを痛感していました。

しかし、この時の私は、「自分は悪くない」という自己防衛カプセルの中に守られて、まだ筋肉痛にはなっていなかったのです。

そんな時にハートフルに出会い、自分を離れたところから客観的に見る機会を得て、一番大切なことが、分かりました。その過程で、激しい痛みを伴う筋肉痛に襲われました。あたかも自分自身と思い込んでいた今まで積み上げたキャリアやプライドや信じてきたものを根本から壊さないと再構築できないことに気づかされたからです。

たどり着いた気づきは、
主役は私ではなく皆であること。部下としては自分で判断できなければ創意工夫しがいもなく、仕事に面白さを感じることもできない。業務命令で押し付ければ、上司の顔色を見て指示を待つだけ。自立した人育てができないこと。

目の前の成果を上げるより、時間はかかったとしても皆の力を信じて一人ひとりの成長をサポートする方が長い目で見れば大きな成果に繋がる。それにはまず、皆がどうしたいのかを知り理解して任せること。

私がやらなければならなかったのは、安心して一人ひとりが自分自身を吐き出せる場を作ること。その上で、一人ひとりの個性が最大限発揮できるよう仕事をデザインすること。先ずはただただ部下の話に「耳を傾ける」だけだったということ。

人は一人ひとり異なるユニークな個性を持っていて、その個性を最大限発揮できたとき、ベストパフォーマンスが生み出される。完璧な人はいるはずもなく、自分自身も例外ではない。お互いの凸凹を補うことができるからこそ1人では成し遂げられないことが成し遂げられる。それが組織でありチームなのだから、もっともっと皆を頼って良かったのだということ。

この思考の転換に至ったとき、目の前がパッとひらけました。壊すことを恐れる必要はないと分かったから。変化を恐れる憑き物が取れ、解放され、羽が生えて飛んで行けるくらい自由になった気持ちになりました。

筋肉痛を避けて「私は悪くなかったことにする」を選択することもできたけれど、そこに留まる姿は不憫で哀れで貧相で情けなく見えて、これは私じゃないと思いました。あの時新しい自分に成れる治癒能力を信じて、筋肉痛になる道を選択した私を、今とても愛おしく思えます。そして、まだまだ理想には程遠いけれど、ハートフルコミュニケーションの出会いから道標を頂き、それを頼りに、歩みを止めずに一歩一歩進んで来られたことに心から感謝します。

コーチングの知識とスキルは、部下も、子どもも同じ、全ての人間関係に適用できるだと気づいたのは、学びを実践して実感することを繰り返し、数年経ってからのことでした。それから、遅ればせながら、子どもたちの自立を目指した子育てが始まりました。
今思えば子育てにおいて必然だったからこそ、このタイミングで学ぶことになったのかも知れません。

これからの人生、まだまだ痛みを伴う経験をすることもあるでしょう。でもそれは筋肉痛。大きくしなやかに成長している証と言い聞かせながら、いつか、筋肉痛にならないくらい成長しきった!と実感できる時が来ると良いなと、そんな未来の自分の姿を妄想しつつ…

書くことによって自分を見つめる機会を頂いたこの2年間はとても豊かな時でした。心からの感謝を込めて、ありがとうございました。

では、大阪の桜井さんにバトンをお渡しします。

東京都/楠野裕子




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