ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

比較する自分と向き合って


神奈川の秋岡です。
山本さんの、子育ては変わるかもしれないという長い目で根気よく見守るものという言葉から、「このままで大丈夫だろうか…」と時折感じながら子どもに向き合っている私は少し安心をもらえました。
私の「大丈夫だろうか」の矛先は、下の8歳の娘に多く向けられてしまっています。今回、娘を心配してしまう自分と向き合った心情を打ち明けてしまおうと思います。

現在、子ども達は夏休みの真最中。フルタイムで働いている私にとって子どもの夏休みは、どうやって子どもに夏の思い出を残しつつ乗り切るか、毎年5月くらいから仕事の予定とにらめっこしながら計画するのが通例です。
つい先日、SNSの過去の投稿を表示してくれる機能で、息子が小学校3年生の夏休みに、富士山登頂を目指すキッズキャンプにひとり参加した思い出が表示されました。当時、申し込みのチラシをみた息子は、「富士山に登ってみたい。友達は向こうで作る」と言い、ひとりで知らない子ども達ばかりのグループに飛び込み、富士山に登ってきました。
この時の息子の度胸には驚かされましたが、思い出されたのは、小学生の時から息子はおおよそ「何ができるか」に焦点を当てていました。なので、夏休みのイベントを組む時も自分の興味ありきで選択できるので、予定を組むのはそれ程困難を感じることもなかったように思います。

一方の娘は言うと、いろんなイベントを探して提案しても「ひとりでは嫌だ!お友達と一緒じゃないと絶対行かない!」と、常にお友達ありきです。なので、イベントを組むにもまず何人かの友達の予定をそのお母さんに確認し、興味と予定が合ったお友達がいれば計画を進める…となるので、時間もかかり選択の幅も狭まってなかなか決まりません。

今年も、とある美術大学が子ども向けに開催している夏の創作イベントに申し込もうと思っていました。一昨年の小学1年生の時も、娘はこの美術大学主催の創作イベントに参加して作り上げた作品も誇らしげにしていましたので、今年も問題ないなと考えて娘を連れていくために仕事の予定を確認していました。ところが申し込みチラシを見せると「どれもいきたくない!」から始まり、「(唯一)これなら行ってもいいけど、誰かと一緒じゃないと行かないからね!」と否定される始末。強行しようと決めた私は「これならいいけど」と娘が言ったイベントに、参加者1名として勢いで申し込んでしまいました。
結果的には、その後仲良しのお友達も一緒に参加してくれることになって申し込みをしてもらえ、娘の機嫌を損ねることなく事なきを得ました。しかし常にこの調子ですので、私は仕事の日程調整が余裕をもってできなくなり、気持ちの余裕もなくなる…といった夏休みになります。

娘の場合は常に「何ができるか」ではなく「誰とその場を過ごせるか」に焦点が当てられます。また、自分が体験したことのない場所に飛び込むことに非常に臆病なので、誰かと一緒であっても想像ができない場面を体験することは避ける傾向があります。つまり娘にとっては、「その場が快適にすごせる状況なのかを確信する」ことがとても重要なことなのだろうと感じます。しかし、そこに私は苛立ちを覚えてしまいます。

苛立ちの要因の一つは、私自身が息子に近いからだと思います。子どもの頃から興味を持ったものは、仲間がいなかったとしても「やってみたい」が先に立ち飛び込んでみる。それは好奇心旺盛とも表現されるものなのでしょうが、自分の興味に忠実に行動してその世界を覗いてみたい。なので、息子への提案もしやすく感じるのだろうと。
そういう意味では、娘の比較対象は息子ではなく、過去の自分なのかもしれません。私には、自分自身がそうしたあらゆる世界や体験への飛び込みを繰り返してきて今自分がここに立てているという自負と、それゆえ娘にも同じように良い経験をしてほしいという期待があるのでしょう。

けれども、自分が良いと感じたからといって娘も同じように感じるとは限らない。そのことを私自身ちゃんと受け止めなければなりません。突き詰めると、苛立ちは娘に対する私からの「こうなってほしい」という勝手な期待との葛藤であり、その「こうなってほしい」は紛れもなく過去の自分の体験からくるもので、思い通りにならないことへの焦りなのだろうと気づきました。「子どもは比べるものではない。生まれた時からひとりひとり違う特性を持っているから、そこを受け止めて伸ばすのが親の役目」と頭ではわかっていながらも、この焦りが比較と心配に繋がっていってしまいます。

一方で、娘は彼女なりの人生を自分で切り開ける意志の強さがある事も私は知っています。
小学校に入ったばかりの頃には、こんなこともありました。クラスで時折叩かれたり蹴られたりしていた男の子に対して、私は関わらないように伝えていましたが、娘は「●●君は構ってほしいんだよ」と主張し、彼に向き合っていました。2年経って再び同じクラスになりヒヤヒヤしていた私の心配を振り払うかのように、当時の自分の主張のまま関係を閉ざさず、今や放課後仲良く遊ぶまでになりました。

自分の考えを曲げずに行動を続けた娘は強かった。私だったらまわりの心配も受けてより穏便に過ごすために、彼と向き合わず距離を取っていたでしょう。私が比較と焦りから解き放たれれば、心配を振り払うように娘はすくすく成長していくのは見えていくのだろうと、改めて自分の子どもに対するスタンスに向き合えた夏休みの始めでした。
今後の娘と自分に思いを馳せたところで、桜井さんにタスキをお渡しします。

神奈川県/秋岡美奈子 







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