ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

祖母への感謝


東京の山田です。
本藤さんのご自身を色々な角度から模索し挑戦を続ける姿、大切ですね。私も長引くコロナ禍に負けず、できることを探してみようと思いました。

さて今回は、昨年9月に97歳でなくなった祖母のことについて書きたいと思います。
私にとって祖母はとても大きな存在でした。1周忌を迎える今でも色々な想いが募ります。

祖母と暮らしていた私の実家は、玄関とお風呂が共用の半2世帯住宅。1階を祖母、2階を私たち家族で使っていました。
専業主婦だった私の母は私が生まれ子育てが始まると、あらゆることに熱心でした。食事、健康、学習、生活習慣・・私がゆくゆく困らないようにと甘やかすことなく一つ一つに厳しく目を光らせていました。私にとっても母は絶対的存在。母の言いつけを守り、いつも気を張って過ごしていました。

しかし時には辛く苦しくなる時があるのです。そんな時、いつもそっと気づいて、心の拠り所となってくれていたのが1階にいる祖母でした。特に弟が生まれるとふとした寂しさから、よく祖母を頼って1階へと降りていくことが多くありました。気づくと一緒に祖母の部屋の掘りこたつに入り、桃太郎や舌切り雀の素話を聞かせてもらったり、おやつを食べさせてもらったりしてニコニコしている私。

思春期の頃には、「そんなことは知らなくていいの!」と母にははぐらかされ不満に思っていたことも、祖母は内緒で色々と教えてくれていました。たとえ束の間の時間でも私の疑問や興味にいつも対等に向き合ってくれた祖母との時間が楽しく、自然と自分の思いをぶつけることができていた気がします。
それは成人した後も変わりませんでした。仕事に挫折し出戻った時にも、祖母は何も聞かずただ一緒に居られることを喜んでくれました。母との折り合いが悪くなり、私が部屋で1人塞ぎ込んでいる時にも、下からこっそりと上がってきて「一緒にご飯でも食べようか?」と誘ってくれたりもしました。
祖母と食べるご飯には何度も励まされました。その頃には私も精神的にはだいぶ自立していたはず。それでも「あなたは、いくつになってもおばあちゃんの可愛い孫に変わりはないのよ」「こうして、一緒におしゃべりできることが本当に幸せ」、そんな祖母の言葉が私にいつも大きな安心感を与えてくれていました。

ハートフルコミュニケーションでは「子どもに育てたい3つの力」の一つとして「愛すること」の意味を学びます。その中では「子どもを無条件にかわいがりましょう」というメッセージと共に「甘えを受け入れる」と「甘やかす」の違いも出てきます。私も親となりこの区別が難しいことを実感しています。
今ならば私のためと思っていた母がどんな気持ちでいたかも察することができます。しかし、自分では消化しきれない「甘え」や「弱さ」を誰にも受け入れてもらえずにいたとしたら、私はきっと寂しさを抱えたまま孤立していたかも知れません。
子どもの甘えは、時として鬱陶しくもあり、そんなこと・・と邪険にしたくなることもあります。けれどもそんな些細な甘えや欲求にこそ本心があり、受け入れてもらえるかどうかで心の安定が変わってくる気がするのです。
私にとっては祖母の存在がまさにそうでした。祖母がいてくれたからこそ、私は自分の気持ちにも素直になることができました。

そんな祖母との別れは突然にやってきました。年齢を考えると覚悟はしてはいたものの、いざ祖母の亡骸と対面した時には涙が溢れて止まりませんでした。
「今までありがとう・・おばあちゃんの孫で本当に良かった」
私の成長とともに一緒に過ごす時間は少なくなっても、祖母は最期まで私のことを想ってくれていたと思います。だからこそ祖母ことを思い出すたびに、私は今でも温かく幸せな気持ちになります。そして祖母が近くにいてくれたことを心から感謝したくなるのです。
それでは今回はこの辺で小林さんにタスキを繋ぎたいと思います。

東京都/やまだゆか






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