ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

世界にひとつだけの…


千葉の小林です。
山田さんのおばあさまから受けた無償の愛情が、今の山田さんの心の拠り所になっているのですね。きっとその「愛」が山田さんのお子さんにも受け継がれていくことでしょう。ただただ「愛すること」。私もそんな存在になりたいです。

さて、今夏は2年ぶりの高校野球選手権大会が開催され、高校球児たちの熱い闘いが繰り広げられました。勝っても負けても3年生は引退。去年、息子は高校3年生の野球部でしたので、息子も一旦、野球人生の区切りとなりました。
今回は息子の野球生活10年間を振り返りながら、感じたことを書きたいと思います。

息子は小学2年生のときに地元の野球チームに所属しました。元々、運動神経に優れていたわけでもないし、身体も細かったので、果たしてやり切れるのだろうかと心配でしたが、本人がやりたいと言うので入部しました。
入部してみると、非常に厳しい監督やコーチがいて、私も緊張するような雰囲気。場違いなところに入っちゃったかなーと不安になりました。息子は、みんなとワイワイ盛り上がるような快活なタイプではなかったので、チームプレーというのが息子にとってストレスになるのではないかと、そんな不安もありました。

初めはほとんど活躍できる場もなく、土日は朝から日が暮れるまで練習の日々。私も真っ黒に日焼けして、気を遣うお茶当番。私は楽しむというよりも、サポートをしなきゃいけないから仕方ない、当番が廻ってくるから仕方ない、そんな毎週末を過ごしていました。
身体の大きい仲間は、ホームランを打ったり、外野の頭を超えるヒットを打ったり大活躍。チームのお母さんたちからも「さすがだね〜!かっこいいね!」と頼りにされていました。羨ましいなぁ、うちの子は身体も細いし、そんな活躍は難しいだろうなぁ、そもそも集団でいることが得意じゃないしなぁ・・と半分諦めていた反面、一体どうやったら息子をホームランバッターにできるのだろうと、毎日そんなことばかり考えていました。チームの勝利のためにできることはなんだろうと悩んでいました。

そんなとき、監督が息子に与えてくれた役割は、「送りバント」と「盗塁」。小手先を使うチームへの貢献です。自分がアウトになっても、前にいるランナーの塁を進めて点に繋いだり、相手チームの守備の隙をついて走って一つ次の塁へ進むことです。
きっと監督が、息子の力を発揮できる機会を与えてくれたのだと思います。息子は楽しそうにグラウンドに行き、黙々と練習を重ね、そんな姿を見たくて私も足しげくグラウンドに向かうようになっていきました。地味な活躍でもチームの勝利に貢献できるんだと思った息子は、野球が大好きになり、中学高校でも野球部に所属しました。レギュラーになれずにベンチで過ごすこともありましたが、大きな声で応援することでチームを支えようとしている息子を誇らしく思ったのを覚えています。
目立つことだけが活躍ではないということが、いつの間にか私にも沁みついていました。甲子園大会が開催されなかった年の高校3年生でしたが、やれることを精一杯やりきって引退を迎えました。体も細く、性格も内向きな小学生時代でしたが、自分もチームの役に立てることを学んだ息子は、いきいきとチームプレーを楽しむまでに成長していました。野球を続けられるのかなと不安だった10年前には想像できなかったやりきった姿でした。

振り返ると、私は10年前、勝手にホームランバッターや目立つ選手がかっこいいと思っていたのだと思います。まわりからの称賛もあるし、ヒーローだと思っていました。
私がずっとホームランバッターに憧れ続けて息子にそれを押し付けていたら、きっと息子は野球を嫌いになり、ここまで続けてこられなかったのではないかと思います。私自身も、なんでうまくいかないのだろうと自分の子育てのどこかが悪いのではないかと、勝手に自信を失くしていたかもしれません。
息子は自分のやりたい野球を選び、辛い練習にも負けず、息子なりの勝利への貢献の仕方を見つけていきました。それは息子の自己肯定感にも繋がっていったように思います。そして私は、その子にはその子なりの開花の仕方があることを、野球を通して知ることができました。

今、浪人生で受験に向けて頑張っている息子、また野球をやるときがくるのかな、そのときはどんな顔をしてプレーをするのかな、きっと楽しそうなんだろうな・・こっそり観に行ってしまおうと今から楽しみにしています。ではこの辺で、田中さんにタスキを繋ぎたいと思います。

千葉県/小林由美子 



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