ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

たかが前髪、されど前髪


大阪の田中です。
高校球児の全力プレイにいつも感動をもらっています。その奥には、想像を超える本人の頑張りと、チームの絆、親子の絆があることを知れました。息子さんのこれからも楽しみですね。

さて、今回は現在小学校5年の次男のことを書きたいと思います。
彼は保育園の年長のころから髪を伸ばしはじめ、今は肩の下10センチほどになっています。自宅でのおかあさん散髪を卒業し、父や兄と一緒の床屋へ行くようになったのが年長のころでした。

その日も、前髪が伸びてきたのでサッパリしてもらおうと床屋へいきました。私が「前髪が目にかからないようにお願いします」と理容師さんにお願いすると、息子が、「イヤ!」と言い出したのです。
大人用理容椅子に台を載せてもらい、そこにちょこんと座ってケープをかけてもらった息子は、ケープの下で腕組みをし、鏡をにらんで憮然とした表情。何がイヤなのか訪ねると、「後ろの髪の毛は切ってもいいけど、前髪はイヤ!」というのです。

一瞬の沈黙のあと、鏡越しに理容師さんと目が合いました。私は息子の説得にかかります。
「前髪が目にかかるとうっとおしいやろー?? スッキリ、オトコマエにしてもらおうよ」。
それでも息子は相変わらずの腕組み状態。ゲームやアニメで真似たいようなキャラクターがいるのか、保育園でなにかあったのかと聞いてみますが、すべて首を横に振ります。この前進しない説得の時間に理容師さんを巻き込んでいることが申し訳なく、理容師さんと相談して、輪郭にそった前髪の部分を残し、あとはサッパリと切ってもらうことにしました。息子にも説明し、なんとか髪を切ることになりましたが、前髪を切ろうとするたびに首をすくめる息子に優しく対応してくれる理容師さんに、やはり申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
会計を済ませ、私はお礼を言って店をでたのですが、息子は憮然とした表情を崩しません。家に帰ってからも不機嫌なまま。いつまでも機嫌が悪い様子に加え、理容師さんにあれほど迷惑をかけておきながら店を出るときにお礼も言わなかった息子に憤りを感じ、「何かをしてもらったらお礼は言いなさい!なにが気に入らないの!?」と声を荒げてしまいました。

そんな時、ハートフルコミュニケーションの養成講座で、認知のゆがみについての学びがありました。自分のもっている「べき」を手放し、事実を見ようというのです。私はそこで、床屋での一件を思い出しました。

前髪が目にかかったら髪の毛を切るべき、何かをしてもらったらお礼を言うべき、機嫌良く振る舞うべき、親はお店に迷惑をかけないよう子どもをしつけるべき。数えだしたら、随分多くの「べき」を持っていることに気づきました。
事実は、ただ前髪を伸ばしたい息子がいるだけ。そこへ、こうするべきであるという私のフィルターがかかることで、お礼を言わない機嫌の悪い息子を生み出し、またその事実に対しても、こうあるべきのフィルターをかけ、声を荒げて注意するという結果を招いていたのでした。

そう気づいてからも、べきにとらわれる自分がいました。
なぜ前髪を伸ばしたいのか理由をきいても、息子は「切りたくない」と言うばかりです。誘っても床屋に行こうとしない息子の前髪は、すっかり目を覆ってしまうほど伸びていました。視力の低下や清潔感に欠ける様子が気になり、息子が前髪を押さえたりかきあげたりする仕草を見る度にイライラしていました。

それを眉をひそめて見てしまう自分に嫌気がさし、「お母さんは、前髪が目にかかることで目が悪くならないか心配している。食事の時に片手で前髪を押さえて片手だけしか使えない様子も気になるので改善してほしい」と伝えました。
息子は納得がいかない様子でしたが、しばらくして、家族といる時は前髪を括る、と言ってきました。女の子に間違われることを嫌い、目立つことを嫌う息子。「家族といる時」という条件つきではあるものの、前髪を括るという選択をしたことは意外でした。そこまでしても前髪を伸ばしたいという彼の気持ちは理解できないけど、認めざるを得ないと思いました。

私の気にしていたことが改善されたことで、息子が前髪を伸ばすことへの抵抗感が薄れていきました。そして、私が何ヶ月も問題に感じていたことが、こんなにあっさりと解消されるのだという自分の気持ちの変化にも驚きました。
起きた出来事に対して、こうあるべきという私の思い込みや価値観を押しつけ、それが実現されなかったことに対してイライラしていましたが、まず起きたことをそのまま事実として受け入れ、自分の思いと現実とのギャップに対して何ができるかを考えられると、もっと心が軽く子育てができるのではないかと思いました。

今や前髪だけではなく後ろ髪も伸びて長髪になった息子は、中学入学を前に髪を切るつもりでいるようです。あれだけ抵抗していた私は、ここまで伸ばしたのにもったいないとさえ思っています。そんなとき、自分の中にある思い込みや常識の類のようなものの曖昧さに、つい笑ってしまいます。

何十年と自分の中に蓄積された、「こうあるべき」という思いは、あらゆるところで顔をだしてきます。その内容を吟味してみると、独りよがりな考えのこともあるし、いつかどこかで植え付けられた先入観ということもあります。それは本来自分が守りたいと思っていることなのかどうか、見つめ直す必要がありそうです。
本当に自分が大切にしたいものだけが残ったとき、心軽く、柔軟な子育てをしていけるのではないかと思います。

それでは、この辺で羽木さんにタスキを繋ぎます。

大阪府/田中千世子 







No. PASS