ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

学んでいるから完璧??


群馬の山本です。
羽木さんの揺れ動く気持ちは娘さんを思えばこそ。親心そのものだと感じました。私にも
同じ様な経験があり、その揺れに、そうだよねそうだよねと、一緒に揺れてしまいました。そして、そんななかでも「この子は大丈夫」と思った羽木さんの力強さにじ〜んときました。

私もたくさん揺れ動いた経験があります。失敗も山ほど。
ハートフルを学んで4年以上経ち、自分の変化を実感していた頃です。中学生になった息子たちと喧嘩もしないし、なぜか夫婦仲もよくなってきたなと、感じていました。ただ、息子たちが親離れをし始めているという実感があり、ちょっぴり寂しさを感じていました。
ところがある日、次男が「一緒に寝てもいい?」と言ってくるようになりました。私はもちろんOKしました。(嬉しさを隠して)とはいえくっついて寝るわけではないのですが、一緒の部屋で親子川の字の復活は幸せでした。まだまだ残暑厳しい頃だったので、エアコンの節約にもなるなと、のんきに考えていました。

そんなわけで私はルンルン過ごしていた頃・・・部活では代替わりをし、問題は静かに始まっていました。3年生が抜けて2年生の数名が威張ったり、嫌がらせをするようになっていたのです。
それは少しずつエスカレートして、ほとんどの1年生に対してされていました。私はまったく気付いていませんでした。そして、同じ部活の保護者から連絡をもらって知ることになりました。
とてもショックでした。息子はどうして話してくれなかったのかと悲しくなったり、気付けなかった、気付こうともしていなかった自分を責めたり、感情が激しく波打ちました。信じられない気持ちも大きかったですし、自分だけが幸せに思っていただけだったと一瞬で真っ暗な世界に入りました。
「ずっと学んでいたのに気付けなかった」
悲しみや悔しさ、自分ののんきさ、力のなさ・・とにかく全てを責めました。

あの時から6年あまりが経ちました。
学んでいても問題は起きて当然だし、何事も完璧なんてありえません。どんなに子どもを愛していても、気付かないこともある、子どものすべてを把握することは不可能なのです。
親にできることは「寄り添うこと」。すべてを知る必要はなく、味方として寄り添うだけで、十分なようです。それが最大の役割でとても大事なことだと思いました。

そして今後のためにも何か有効なことはないかと考えてみました。
一度、少しだけ「あれ?」と思ったことがありました。ほんの少しの違和感です。
雨の降る日で、部活はお休みでしたが、次男は出かけました。遊びに行くとは言っていたのですが、楽しそうでもなく、雨のなか、渋々出かけるその様子に何となく変だなと感じました。実は先輩に呼び出されて出かけた日でした。

その時に感じた違和感を言葉にしていれば、何か話すきっかけになったかもしれません。でも、口出しせずに信じて見守るを最優先にしていた私は、この時も口に出すより、見守ることが良いと、そればかりを実行していました。
一方で、息子が何か話してきた時にはどんな時でもどんな些細な話でも、手を止めて、耳を傾けることに決めていました。言い換えればそれで十分だと思っていました。でも、待っているばかりでは不十分でした。この時期、次男から部活の話をされたことは一度もありませんでした。
だから、親の「カン」のようなものは信じていいと思うようになりました。感じたことはなるべくその時に言うようにしようと今は思っています。

それから、一緒の部屋で寝るようになった時が問題が起きていた頃と重なります。
もう中学生なんだからと断らなくて良かったです。でもこれは偶然に思えます。私が子離れの寂しさに慣れた頃に言われたら、断っていたかもしれません。あえて意味を持たせるなら、「一緒に寝てもいい?」と言える相手ではあったということでしょうか。声変わりして可愛さが抜けても、どんなに体が大きくなっても、不安や孤独を少しでも癒す存在でいられたことは親冥利に尽きます。これはやはり、学んでいたからだと思います。

息子も親離れをしていく過程で、親に話すことは難しかったのかもしれません。
なぜ、話してくれなかったのかと聞くと、「心配をかけたくなかったから」 。話したら親がどんな気持ちになるか想像し、言わない選択をしたことを責めることもできません。
当時は言ってほしかったという気持ちばかりが強かったのですが、言えないことも不自然ではなく、息子なりに自分の問題として捉えていたように思えます。

そして、発覚後は家族でしっかりと向き合えたことが良かったことです。たくさん話をしました。それに心配かけても、それでも言ってほしいし、親だから、親だからこそ言っていいんだよと、伝えることができました。
息子は「わかった」と静かに言いました。わかってはいたけど、やっぱり親に話すことはハードルの高いことのようでした。自分自身を振り返っても、年齢や成長段階によってはそういう時期もあったと思い出しました。

子育ての正解を求めていた私に、学びは問題が起きても乗り越えられるたくましさや柔軟さを授けてくれました。正解があるわけでも、1ミリも失敗しないために完璧にする方法があるわけでもなく、何があってもくじけずに歩み続ける様々な手段を生み出すために学びは役立ちます。
学んでいたのに気付かなかったと落ち込んだことも、親としての成長の一つとして肉付けされました。学んで成長したぞとあぐらをかくことなく、学びを様々な場面でフル活用して過ごしていきたいと思います。

では、次にバトンをつなぎます。新メンバーの安村さん、よろしくお願いします。

群馬県/山本美徳 






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