ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

『おこだでませんように』で泣いてしまうのは


兵庫の羽木です。
田中さんのお父様が築いてこられたご近所さんとの強いつながり、それがどんなに大切で得難いものかを親を見ながら感じていて、うらやましく読ませていただきました。

今回は、絵本を読んで考えたことを書いてみたいと思います。
もうすぐ七夕。くすのきしげのりさんの絵本『おこだでませんように』(小学館)は七夕が近づいて短冊を目にすると思い出す本です。
家でも学校でもいつも怒られてばかりの1年生の男の子が、「どうすれば怒られないんだろう。僕は悪い子なんだろうか」と悩み、学校での七夕の短冊に習ったばかりの拙いひらかなで、一番のお願いを心を込めて書きます。「おこだでませんように」と。短冊を見た先生は泣いて、怒ってばっかりだったことをあやまり、お母さんは男の子を抱っこして大切に思っていることを伝えるというお話です。子どもの気持ちが沁みてきて、何度読んでも涙が出ます。

私は小学校の放課後子どもルームでサポーターをしています。放課後校内で子どもの遊び相手をしたり宿題をするのを見守ります。学童と少し違い、その学校の子どもなら誰が来てもいい、市がやっている事業です。
「怒られやすい子っているなあ」。読みながら、息子や、子どもルームで「僕ね、いつも怒られちゃうんだ」と言っていた子の顔が浮かびました。今何をすればよくて何をしたら怒られるのか空気を読むのが苦手だったり、友だちとの距離感がわからずうまく絡めなかったり、気持ちのコントロールができなかったり。
今は子育ても終わり年を重ねたからか、自分の子ではないからか、子どもルームの子どもたちに腹が立ったり感情的に怒ることはありません。でも、自分の子育て中は、気持ちに余裕がなくて感情のままに怒ったり、理由がわからないままに怒ってしまったことは何度もありました。

娘は親が怒るようなことはほとんどしませんでしたし、幼い時から親の状況、「なんだか急いだ方がいいみたい」「今これは言わない方がいいな」など、察する能力があったけど、息子はかなり年齢が上がるまで空気を読まず、すぐに泣くし、やることも遅い。どうしても上の子よりイライラしたり、怒ることが多かったなあと反省と自戒をこめて思い返しました。

例えば、家族で旅行に出かける朝、息子の準備だけができていない。皆が待っている状況で、持っていきたいおもちゃを選びながら遊んでいたりする。「早くして! 間に合わないよ」と適当に私が選ぶとひっくり返って泣き、拗ねて動かなくなり更に怒られる。
またある時は、アイスを買ってもらったけど他の人のアイスがコーンに乗せられる様子が気になって見ている。「よそ見してたら落とすよ、先に食べようね」と言っているのに見続けてアイスを落として「ぴえ〜」と泣く、という具合です。理解不能! と頭を抱えていました。
息子のそれは、未熟さゆえなのか、気質なのか特性なのかわからない。でも、そこに至る経過をもっと丁寧に見ていれば、どうしてそれをするのかわかることも多かったのかなと思います。

ハートフルコミュニケーションでは「子どもの問題行動には必ず子どもにとっての肯定的な意図(その子にとってのいいこと)がある」と学びます。
「下の子が生まれて焼きもちを焼いたお兄ちゃんが弟を叩く。お兄ちゃんの肯定的な意図は『ママ僕のことも見て』だから叩くのはダメと怒っても効果はない。それより、そんなことをしなくてもママはあなたが大好きなんだよと伝えることで、お兄ちゃんは弟を叩かなくなる」という講座での例に、凄く納得したのを覚えています。さみしいのかもと頭の隅で思うことはあっても、大きい子が小さな子を叩くという、見えている「正しくないこと」に反応して私も上の子を怒ってしまうかもしれないなと思いながら。

このことを学んだのは息子が思春期になってからですが、幼い頃の息子の肯定的意図を思い返すと、目の前の物への好奇心だったり、その時その時の「こうしたい」が強かったり、息子なりの肯定的意図があったのだとわかります。私は「今の状況ではこうするべき」が先に立ち、息子の肯定的意図を見ようとしていませんでした。
更にコーチングを学んだことで、「どうしたかったの? そうか、今はこうゆう状況だけど、それをするためにどうする? 他にどんなやり方がある?」という発想と、質問ができるようになりました(まだ、いつもできるわけではないんですけど)。息子もだんだんと周りの状況も見られるように成長し、私が怒ることは少なくなりました。

見えている「正しくないこと」に反応して怒ってしまうことは、実は子どもが大人になった今でも起こります。もう成人した娘が仕事で嫌なことがあったのか疲れているのか、帰宅するなり不機嫌そうにしていることがあります。落ち込んでいる感じの時は、私もそっとしておいたり、ゆっくり話を聴いたりできるのですが、不機嫌そうな態度には「家に帰って不機嫌をまき散らすべきでない」という私の「べき」が娘の「正しくない」態度にイラっと反応するのです。
娘の肯定的意図は「気を許せる家でやり場のない気持ちを発散したい」でしょうから、その気持ちを受け取ってやれればよかったのに、気持ちに余裕のない時は私まで不機嫌になったり、説教までして反対に娘に「もーママ黙って!」と言い返され、あーやっちゃった、ってなること、今でもあります。
『おこだでませんように』のぼくにも、その行動をする理由が文だけでなく絵からも読み取れます。それをやろうとした男の子の気持ち、受け取ってあげられることが何回かに1回でもあるといいんだろうな。

怒られてばかりだと子どもは悲しい。この絵本のぼくも、怒られてばかりのぼくは悪い子なんやろかと悩みます。
「大切に思っていても、それが子どもに伝わっていることが肝心で、怒ってばかり、否定してばかりいると、親が思うようにできない自分は悪い子で、愛されていないと思う危険性がある」ことも学びました。
絵本を読んでいると、怒られるたびに「お前はダメな困ったやつだ」を刷り込まれているように感じて私まで悲しくなります。私は息子のこともすごく愛していたのに、伝わっていたのだろうか。小さな息子と男の子が重なって、それで読むたびにこんなに涙が出るのかな。

短冊を見て、男の子の悲しい気持ちに気が付いて、先生もお母さんもぼくに大切に思う気持ちを伝えてくれました。
本に出てくる先生もお母さんも、子どもを大切に思っているし、それを伝えることも、認めてあげることが大切なことも知っているように感じます。それでも、怒ってばかりは起こるんだな。たくさんの子どもを見なければいけない先生だって、仕事も家事も他の兄弟も見なければいけない親だって、いつもずっと全部を見ていられるわけではないですから。

教室以外にも子どもの居場所をつくるというのが、子どもルームが作られた最初のコンセプト。親や先生の代わりにはとてもなれないけど、子どもルームに限らず、塾でも習い事先でもご近所でも、子どもを取り巻く他の大人たちが想像力を働かせ、「この子は他のところでもよく怒られているのかもしれないな」「さて、この子の肯定的意図は何なんだろうね」と優しい目で子どもの話をよく聴いたり様子を見られるといいな。私にできるサポートはそんなことかなと考えました。
そのことを忘れないためにも、『おこだでませんように』は私にとって、いつも頭の端に置いておいて、時々見返したい絵本です。

では、この辺で次の山本さんにバトンを渡します。

兵庫県/羽木 絵里 





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