ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

身をもって実感したこと,


大阪の田中です。
小林さんのブログを読んで、お産した時のことを思いだしました。陣痛がきてから我を忘れるほどの痛みのなかで不思議と不安にならなかったのは、助産師さんが受け止めていてくれたかもしれないと改めて感謝の気持ちになりました。まず、受け止める。私も日常のなかで実践したいところです。

今回は、中学二年生になる娘のことについて書きたいと思います。
娘はダウン症で知的に障がいがあります。最近は少しずつ聞き取れる言葉も増えてきましたが、発音が明瞭ではなく、身振り手振りを駆使しても、付き合いの長い関係でないと伝わらないことが今でもたくさんあります。
そんな娘が小学生のころの話です。

娘は小学校低学年から、放課後や休みの日に発達に特性のある子どもが利用できる、放課後等デイサービスを利用しています。
デイサービスから配られるカレンダーに、利用希望日にマルをつけて1ヶ月の利用日が決まるのですが、あるときカレンダーにマルをつけながら、ふと、娘のスケジュールを私が勝手に決めていいものかと思いました。

幼少期の子どもたちのスケジュール管理は丸ごと私の仕事でした。保育園の送迎はもちろんのこと、娘の療育や通院、長男と次男の習い事の送り迎えなどが毎日時間差で入ります。3人の予定と私の予定が重ならないようにスケジュールを組むのが大変でした。
子どもたちが小学校に入ってからは、だんだんと長男と次男へかかる時間が減っていきました。習い事も各自でいけるようになったため、スケジュール管理はそれぞれに任せるようになりましたが、娘は学校へのお送り迎えも、その他どこへ行くにも一緒だったので、いつまでも私が管理をしていました。けれど、家族ででかける予定も少なくなり、兄弟達もそれぞれに過ごしている土日、その日の過ごし方を私が決めていたことにひっかかりを感じたのです。
そこで、デイサービスの利用届を娘と相談して決めることにしてみました。

デイサービスから配られるイラスト付きのカレンダーを一緒に見て、娘にも伝わるように補足しながら話しを進めます。平日については私の予定との兼ね合いもあるので、娘に了承を得ながら私の意見もきいてもらいました。土日については、娘が思うまま、決めたとおりに申し込んでみようと決めていました。

時間の把握が難しく、時計もよめない、先を見通すことも苦手な娘に、一ヶ月先の予定について話すのはとても難しいことでした。
例えば、カラオケのイラストに何度もグルグルと丸を書くので、行きたいには違いないのだろうけど、「これは今日じゃないよ。(カレンダーの日にちを一緒に数えて先ということを伝えるなどして)何日寝てからね」とか「ママとじゃなくて、デイのみんなといくよ」とかいった具合です。そうしてひとつひとつ確認しながら決めていって、最終的には土日に全部マルがついていました。どこまで分かってる??という不安はぬぐえませんでしたが、人数調整の結果によっては行けない日もあるということも娘には伝え、提出してみました。
今までほぼ土日利用がなかったのに、急に全部の土日利用希望になったことに、デイサービスのスタッフから確認の電話がありました。事の経緯を伝えると、「娘さんがきめたこと、今回については尊重したいと思います」との返事をいただき、全ての企画に参加出来ることになりました。

月曜日から金曜日までは学校、土曜日と日曜日もデイサービスに行く娘。2週目までは土日にお弁当をもって行くことも含めて楽しみにしているようでしたが、3週目ぐらいから、カレンダーを見て「あしたは?」と聞いてくるようになりました。「明日は学校、(終わってから)ママ迎えね」の日があったり、「明日は学校、デイです」という日があったり。そして金曜日も「あしたは?」と聞いてきました。「明日は学校なし、デイの日です」と言うと、娘は、「もーいー」と言ったのです。
「もーいー」というのは、行きたくないということです。母としても、土日は遊びとはいえ、さすがに疲れてるやろうなぁ。という気持ちになりましたが、カレンダーを見て(曲がりなりにも)自分で決めたこと、体調不良などならともかく、元気ならば約束はまもらないといけない、というような話しをして、その週の土日も渋る娘を送り出しました。

そろそろ来月の利用届の提出期限が近づいてきた日、娘と一緒にカレンダーを広げると、娘はいきなり全部の土日にバツをつけました。そして「もーいー」「ごろろろ」と言ったのです。土日はデイに行かず、家でごろごろして過ごしたいということでした。
私はその様子を見て感動してしまいました。一ヶ月をかけて、娘は身をもって実感したのです。母親の心配をよそに、娘は道理がわかり、立派に選択してみせました。私は娘の可能性を信じきれていなかったんだということを思い知らされました。

こんなにはっきりと「身をもって実感する」ということを見せてもらえたことで、兄弟に対しても、親心という一見正当な理由をたてに先回りし、身をもって学ぶ機会を奪っていたのかもしれないと思いました。今回のことでは何よりも私が、障がいのある無しに関わらず、子どもの学びや成長は親の想像を軽く遥かに超えていくものなのだと身をもって実感しました。

今も娘は自分でスケジュールを決めています。先を見通すのはまだまだ難しいようですが、文字が読めるようになってきたので、カレンダーを見て自分で予定を確認しています。相変わらず「あしたは?」とも聞いてきます。今は通学バスのバス停までの20分の道のりを歩くのが嫌で、「明日は学校」というと決まって「がっこう、おおい!」と言っています。それでも毎日歩いてバス停まで通います。学校は多いけど、マルとかバツで選べない場所というふうに思っているようです。こうして、娘の納得いく人生を、自分で選んで、歩いていってくれたらと思います。

それではこの辺で羽木さんに襷をお渡しします。

大阪府/田中千世子




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