ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

習い事から考えること


神奈川の秋岡です。
母親としての役割を背負って、配偶者への不満を閉じ込めた山本さんのかつての場面が自分のことのように蘇ってきました。でも相手を改めて見つめなおすと関係性が発展するのですね。

さて、私は子どもの習い事に関して最近見つめなおし、巡らせた思いについて書いてみたいと思います。
以前から、息子・娘の友達を見ていて、保育園の頃からたくさんの習い事をしている子がいるなと感じます。1週間の予定がびっしりと詰まっていて、いつ友達と遊んだり、ぼーっとしたりするのだろうと勝手に心配してしまうくらい。多くは親の「将来のために、この習い事を子どもにさせよう」という焦りにも似た選択から始まっているのだろうなと感じることが多々あり、親が子ども自身の意志や主体性を奪ってしまっていないのだろうかと、おせっかいにもその親子関係が気になったりしていました。

しかし、翻って最近の自分を見てみるとどうだろうか。小学4年生の娘はこれまで続けてきた体操、エレクトーン、ダンスを一つもやめずに、今年から週3日ある塾に通い始め、結局私も、子どもの毎日を習い事で埋めてしまっていることに気づきます。
塾に通い始めた前後に、何度も「ゆっくりした曜日を作るためにどれかをやめようか。」と娘に提案してはきたものの、「好きだから全部続けたい!」の一点張り。なのに、最近娘はたまに周囲の人に軽く冗談めいて「習い事が毎日あって忙しいんだよ!」と言う時があります。本当はやめたいのか、いや続けたいのか、娘の真意がわからなくなります。これは娘が意志をもって主体的に選んできた健全な状態なのだろうか、と自分自身のこれまでの子どもへの関わり方に不安を覚えるようになってきました。

振り返ってみると、我が家の息子と娘は、二人とも保育園の年中・年長くらいから習い事を始めましたが、まずは体操、スイミング、空手、ラグビー、リトミック、テニス、ピアノとあらゆる体験をさせて、最後は本人達に何がしたいか選ばせてきました。
しかしそれは本当に子ども達の主体的な選択だったのだろうかと考えると、それも結局は私が子ども達に良かれと思ってピックアップした選択肢からの選択だったじゃないかと気づきました。と同時に、親の選択で子どもが習い事をしている状況に批判的な目しか持てていなかった自分が浅はかだったなと恥ずかしくなり、ますますこれまでの自分の関わり方に自信が持てなくなってきていました。

そんな自信を無くしかけた自分を、先日、とある友人のSNSの発言が前向きにさせてくれました。それは「演奏会に触発されてピアノを再開しようと思ったところ、子どもの頃の習い事経験から難曲に挑める技術があることに気づいた。自分にピアノを習わせてくれた親に感謝している」という、親への感謝の言葉。つまり自分からではなく親が引き入れた世界ではあるけれど、結果的に大きな財産として自分に残っており、更にそれが大人になった人生を豊かにしてくれている、と伝えていました。
それを読んで今更ながら気づいたのは、親が選択した環境であっても、長い将来を考えれば子どもにとってプラスに働くことも大いにあるということ。そういう観点において大事なのは、どんなことをやるとその子の良いところが伸ばせそうかという親の子どもを観察する目なのだなと再確認できて、何だか安心できたのです。

ただ、子どもに「もうこの習い事はやめたい」と言わせる親子関係があることは大事だと感じています。そう考えたのは、その友人の投稿から、かつての自分のピアノへの関わり方も思い出したことからでした。
私も小学校6年間ピアノをやっていましたが、憧れのトルコ行進曲を練習していたら、自分の手が小さすぎてどうしてもうまく弾けませんでした。そこで、これは身体的に向いていないと痛感し、小学6年生でやめることを自分で決めました。その時、自分でやめることを決めて言い出せたのは、両親が私の意志を尊重してくれるとわかっていたからだと、改めて気づかされました。
子どもがやめることを選択するのは、ある意味前向きな意志だと思いますし、それを受け止める親子関係があるのは、その後子どもが主体的に選択をしていくことにつながる基盤になるのだなと今感じています。

同時に、現在中学2年生の息子のある日の宣言も思い出しました。彼は6歳からスイミングスクールに通っていましたが、小学5年生のある日、「もうそろそろスイミングはいいかな。もうやり切った感がある」と言ってやめることを決意しました。
確かにその時点でかなり上のレベルまで進んでいたので、客観的にも自分で判断できたのかもしれませんが、小さな頃から慣れ親しんできた習い事にそう言って区切りをつける宣言を自らしてくれたことに、私はなんだかホッとしたことを覚えています。なぜホッとしたのかを今解釈すると、息子とはやめる意志を言い出せる親子関係を築けていたと、私が確認できたからなのでしょう。

では、今の娘との関係はどうなのでしょう。またまた最初の不安が戻ってきてしまいました。
たかが習い事、されど習い事。子どもが小さなころから携わるものだからこそ、習い事を媒体として親子関係が表れたり、築かれたりするのかもしれません。
私もここから何年間かは、娘の習い事への言動を見ながら、親子関係を確認していくことになるのかなと、不安ながらも少し覚悟を持つことができました。

ではこの辺りで、安村さんにバトンをお渡しします。

神奈川県/秋岡美奈子 





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