ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

育てにくい子


同じ出来事に対して、どのように響いて何を感じ取り、どう表現するかは本当に人それぞれですね。落合さんが思い切ってご自分の感じられたままを相手に伝えたことで、ご友人との距離がぐっと近くなったエピソードから、自分から心を開いていく大切さを再確認できました。

カナダのチャウです。
今、長男は4年間のハイスクールの最終学年で、6月に向けて昨年末からいくつかの大学に願書を提出しています。年末年始の休暇中に申請中の大学から、高校時代に取り組んできたことや、リーダーシップを発揮した経験についてなど、いくつかの項目について小論文を提出するようにとの返信が来ました。

先日、長男がその質問の中の一つについてアドバイスがほしいと言ってきました。「これまで不公平なことや差別を見た、あるいはされた経験はあるか? その時どのように対応し、もし次回同じようなことがあったらどのようにしたいか?」という質問でした。
「どんなことを書こうと思っているの?」と聞くと、あまり差別された覚えもないなぁと言いつつ、「一つ思い出すことがある」と言って、彼が12歳の頃に学校であった出来事を話してくれました。

それは、体育の時間にクラスの女子と男子を分けて、それぞれバスケットボールの試合をするという状況で、担任の先生がなぜか長男にだけは女子のチームに入るようにといった事件でした。
長男は小学生の頃、背が低く、痩せていて、口数も少なく、スポーツが苦手で、目立たないタイプの子どもでした。それで担任の先生は、スポーツ好きな男子の中に入れるのではなくて、女子の中に長男を混ぜる方がフェアだと判断をされたのかもしれませんが、当人にとってみれば、それは苦い思い出だったに違いありません。
それでも結局、何も言えずに、その先生の言うとおりに、女子チームに入って好きでもないバスケをしたと、当時、長男がポツリと言っていました。私はその話を聞いて、先生の判断に憤りながらも、うちの長男は運動が苦手だし、はっきりと意思を表明しないタイプだし、まぁしょうがないよなぁと、軽く聞き流していたことも思い出しました。

あれから5年たった今、長男があの時の彼自身を振り返って言いました。
「今でもなんで担任があんな判断をしたのか分からないし、あれはフェアじゃなかったと思う。でも自分はあの時は何も言えなかった。今だったら、きっとクラスメートに笑いを取ってから先生に反論する」と。それを聞いて、「うわぁ、いつのまにか随分大人になったんだなぁ」と感慨深いものがありました。

小学校低学年の頃の長男は、毎朝学校へ行きたくないと愚痴をこぼしていました。ある時、私が歯医者の予約で学校に迎えに行くと、生徒たちが校庭で走り回るなか、長男は砂場で一人ポツンと座っていました。仲の良い友達がいないようでした。
面談ではどの担任も「クラスでは物静かですね」と言われるのみで、長男自身は淡々と「仲良しはいない」と言っていたのですが、私は気が気ではありませんでした。

一方、家ではよく兄弟げんかをしていて、食べられないものが多くて不機嫌になりやすく、何かと不平不満が多いので、私は長男を「育てにくい子」だと感じていました。
スポーツが好きで、親とよく話し、学校へ行くのが好きな子ども時代を送った私には、長男のそういった態度は理解できず、「普通」とは違い過ぎると思っていました。なので、そんな長男にイライラしてよく叱っていました。

今思えば、私の思っていた「普通」とは「私にとって当たり前のこと」でした。
学校に行くこと、友達と遊ぶこと、親の作ったご飯をおいしく食べること、そんな私にとっては当たり前だったことが満足にできない長男を、難しい子だと感じていたのです。さらには、対人関係やコミュニケーションが苦手な様子や特定のことへのこだわりの強さから、長男は発達に問題があるのではないかと疑い、こどもの発達障害やアスペルガー、高機能自閉症の本を読みまくり、そこに答えを探し求めていた時期もありました。

しかし、ちょうどその頃に『こどもの心のコーチング』(菅原裕子著)を読んで、長男の性格や特徴は「発達障害」ではなくて「親である私自身の投影」ではないかと思うようになっていきました。というのも、当時は私自身がまわりとのコミュニケーションに臆病になっていたからです。
この本には「あなたは自分が好きですか? 自分にそれなりの自信をもっていますか?」という質問があるのですが、海外移住という変化になかなか適応できず、過去の自分のやり方に固執して、言語面、子育て、カナダへ来たという自分の選択などすべてに自信をなくしていた私は、この質問に「はい」と答えることができませんでした。そんな私の状態を、長男と何も変わらないと思ったのです。カナダ社会で活き活きと周りと繋がって生活していない私の状態が投影されて、長男もクラスに溶け込めず、覇気のない毎日を過ごしているのではと感じました。

そこから私は自分自身の心と向き合わざるを得なくなったのですが、はじめのうちは私の在り方が長男に悪影響を与えてしまったと、自責の念にさいなまれました。
私の在り方が長男に投影されているとしたら、私自身が「この私でいい」と自信をもって活き活きと生活をしない限り、彼も変わることはない。でもどうやったらそんな自分になれるのだろうと悶々としていました。
「どうしていつも、子どもたちや夫やまわりの人と接するときに軸がブレブレになるのか」「これでいいのだと自分で自分に言えない私って、なんなのだろう?」「 なぜ、幸せと思えないのだろう?」という問いが常に頭の中に湧き出てきて、一向に解決しない日々を過ごしていました。

しかし、本の中の「こどもの幸せの第一歩は、親自身が幸せな人生を生きること」という言葉が、私に強く響いてもいました。子どもとの関わり方や自分自身の生き方を学び直すなら今だと、思い切って海外からハートフルコーチ養成講座を受講することにしました。
講座では、同じように子育てで悩んでいるお母さんたちと一緒に、自分の至らなさを反省したり、思いを言葉にしたりとアウトプットしていきました。コーチや仲間からたくさんのフィードバックももらいました。1年間の講座が終わるころには、「自分を責める」よりも、そのようにしかできなかった「自分の過ちや至らなさを認めよう」という気持ちに変化し、そうするとその次は、「じゃあ、私はどうなりたい?どうなったら幸せ?」という前向きな気持ちになっていったのです。

長男の子育てに悩んでいた頃は、私の価値観に沿うことが「普通」であり、そこから外れた行動をする長男は「普通でない」と思っていました。子どもを自分の一部のように捉えていたのかもしれません。
ところがハートフルコミュニケーションで、子どもの気質の多様性や、ありのままの子どもに寄り添うコーチングを学ぶうちに、私自身が心の奥底に押し込めて忘れていた、ありのままの私が顔を出してくるようになりました。
ありのままの自分とは、「変化に弱く頑固で不器用、でも認めてもらいたいと一生懸命まわりに合わせている、小さな頃の私」です。私はそういう特性があるのだと自分で自分を受け入れていくうちに、かつて私がそうだったように、長男も、親に認めてもらいたいと願っているのではと感じました。誰もが自分の中にある輝ける部分を見つけて欲しいのだと。すると、あんなに理解できなかった彼の性格の中に、愛しい部分がたくさん見つけられるようになっていきました。私と長男を分けて考えることができるようになり、ひとりの成長途中の子どもである長男を応援したいという気持ちで接するようになっていきました。

高校生になった今でも、長男は華奢で、スポーツは苦手です。家でゲームをする方が好きなようです。持ち前の静かに一人で思考する強みや、一つのことに長時間集中できる彼らしさを発揮して、私の不得意だった数学や化学やコンピュータを得意分野にし、大学ではそういった勉強がしたいと言っています。高校では彼のペースで友情も育み、自分の居場所を見つけたようです。ジャッジせずに人の話を聞いて、冷静な助言をするのに長けていて、私が自分自身と向き合い、自分はこれでいいのだと自信を取り戻していく過程を、長男に随分聞いてもらいました。

バスケ事件は、かつて私の苦しみの種だった「育てにくい子」を思い起こさせるエピソードでしたが、時を経て長男が、大学へ提出する小論文の中で「笑えるネタ」に変えてみせてくれました。その成長ぶりを前にして、「あの時、子どもとの関わり方や自分自身について学ぶ機会を持てて良かった、歩みは遅くとも少しずつ変化を起こすことができて本当に良かった」と、これまでの道のりをほっこりした気持ちで振り返ることができたひとときでした。

では、この辺りでバトンを小林さんにお渡しします。

チャウあつよ 









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