ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

日々は気づきでいっぱい


渡海さんのご自分が自分を大切にする姿をお子さんが見られて、また、子ども自身が自分を大切にするという見えない連鎖を感じられたこと、それはもしかしたら親子だけでなく夫婦や他者でも同じなのかもしれないと感じた埼玉の落合です。

先日、白い封筒が自宅に届きました。
送り主を見ると、なんと看護学生時代からお世話になっている総菜屋さんからでした。年配の夫婦が営んでいて昔ながらの量り売りスタイル。現在の表現だとDELIに近いです。すべて手作りが店主のこだわりで、すぐにお店のファンになりました。何度か行っていると、店主の奥さん(おばちゃん)が名前をおぼえてくれ世間話をするようになり、私がほっと息を抜ける場所にもなっていきました。

そこには60年続けてきたお店を閉店するとの内容の印刷されたご挨拶文が入っていました。年賀状には毎年、達筆な字で近況を書いてくださっていたので、一抹の不安を感じ訪れることにしました。

新型コロナウイルス感染症のこともあって、2年ぶりに会うおばちゃんは以前より背が曲がり歩くのがしんどそうだと感じました。相変わらず名前を呼んでくれ、その元気そうな声を聞けて安堵しました。商店の維持に高齢の店主たちには負担が多く、夫婦ともに元気なうちに開店して60年の節目を迎える4月末に閉める決断をしたと、おばちゃんは仕事の手を止めてこれまでの閉店の経緯を話してくれました。

仕事や学業で落ち込んで胸のあたりがモヤモヤしている時や、良いことがあって心がウキウキしている時も、いつも店に入ると同じ声のトーンで名前を呼び受け入れてくれます。私の気持ちの状態をおばちゃんは知らないはずですが、その時どきで、その声は「どうしたの?」に聞こえ、「何かいいことあったの?」とも聞こえることがありました。きっと、顔に感情が出ていたと思いますが、おばちゃんは理由をあえて聞くことしません。いつものように手作りのお惣菜をふるまってくれ、いつものように身の上話をしておしまいです。
私の心の中はその時どきで、聞いてほしい、聞かないでほしい、話したい、話したくない、複雑な気持ちがあります。その気持ちを抑えておばちゃんの話に耳を傾けていると、おばちゃんの視点になって見えているものを想像したり、話の中の登場人物者になって考えたりすることができ、自分の現実と切り離して考えることが出来て気持ちの整理に繋がります。

変化を求めることが好きな私は、いつもと同じでいることは変化がなくて面白くないと感じてしまうことがありますが、いつも通りのことが反対に心地よく、深く聞かないでくれることがありがたく感じました。
美味しいご飯とお惣菜を食べると、お腹が満たされ、次第に心が満たされてきて、せわしなく揺れる私の感情が落ち着いていく感覚がありました。そして帰るころには、モヤモヤしている気持ちを切り替えることや、ウキウキするときは自身をより肯定することができました。

食事は人間の生命維持と成長のために欠かせません。食べることこそが基本でもあり最も大切だと、人間が身体的、精神的に生きていく上で食べることは何よりもまず大切なことだと、おばちゃんの喜怒哀楽に振り回されない態度で教えてくれたのだと感じました。
ただ、「やめるのは寂しい…」、身の上話の延長でそう言ったおばちゃんの表情には悲しさを感じました。商店の仕事が心の底から大好きで本当はいつまでも続けていたいのだと本音に気付いてしまい、私は「寂しいんですね」としか言葉を返すことができませんでした。

これまで私は自分に関わる人たちだけに支えられて成長させてもらったと思っていました。そしてたくさんの人へ感謝をすることが多くありました。
今回、お知らせを頂き学生時代を思い出したことで、日常生活の中で食を通じて人たちを支えてくれた方がいたことに気づけました。意識せずにスルーしていればただお店でお弁当を買う行為だけで何も感じませんでした。
自分自身が当たり前に思う周囲や相手、物事にどれだけ意識を向けられるかどうかは自分次第だということ、いかなる場所でも学びがあることを気づかせてもらいました。

カナダのチャウさんへタスキを繋ぎたいと思います。

埼玉県/落合陽子  







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