ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

苦手なことにどう向き合うか?


落合さんの日記を読んで、私も学生時代に出会った人々から受けた親切や思いやりの言葉を懐かしく思い出しました。とくに美味しい味は幸せな記憶と繋がっていますね。いろんな人に支えてもらって今がある幸せを感じました。

カナダのチャウです。昨年9月から地元のカレッジのEarly Childhood Education(ECE)を受講し始めました。先月2月から3月にかけて、初めてデイケア(保育所)での教育実習があり、2歳半〜4歳前の子どもたちのプリスクールクラスに入ることになりました。
講座では教育学や理論など堅い内容を学んでいましたが、実習では20人ほどの2,3歳児と一日を一緒に過ごすという現実を目の当たりにしました。担当の指導教員はベテランで明るくユーモアがあり、現場の忙しい合間を縫って、私に教員としての一日の過ごし方、カリキュラムの立て方や導入など親切に教えてくださいました。

にもかかわらず、私にとって最初の1週間は試練の連続でした。
子どもの顔と名前がなかなか覚えらず声がかけられない、8人同時のトイレタイムに戸惑う、動きまわる子どもたちに、どうやって関わればいいやら途方に暮れ、鼻水ふき係に徹する新人実習生になり果てていました。慣れない環境での目の回る大変さに、この仕事は本当に私にやれるだろうかと、迷いが生じていきました。

しかし同時に、その指導教員が子どもたち一人一人を思いっきり抱きしめている姿や、泣いている子を膝にのせてその痛みに寄り添っている姿、危ない時にはっきりと「ノー」を伝えるなど真剣な言葉や行為のやり取りを見ているうちに、今までの私の仕事モードではできない仕事だなと感じました。
これまでは、お客様や同僚に失礼がないよう正しい言葉や情報伝達に注意を払い、非難されないようにという守りの姿勢で働いていました。しかしデイケアでは私の方からこどもの気持ちに寄り添い、一緒に良い関係性を創っていく能動的な姿勢が求められていました。
非英語圏出身や男性の教員も含め様々な個性の人たちが、自分らしさを持ち寄って子供たちと本気で関わっているのを見たことに感化され、こういう職場こそが私の成長にとって必要なのかもしれないと心躍る感じもしていました。

しかし怒涛の1週目が過ぎると、2週目には風邪をひいて4日間寝込んでしまい、熱にうなされながら、「こんなしんどいのは嫌だ」「やめたら楽になれる」と辞める口実をグルグルと考えていました。実は講座で学んでいる間も、読書量や課題のあまりの多さにへこたれそうで何度も挫折しそうになっていたからです。発熱中、「ここまでやってきたのに辛いから辞めるの?」「何が嫌なの?」「そもそもなぜECEを選んだの?」といろいろと自問していくうちに、仕事や子育てなどに対するこれまでの私の姿勢がまざまざと思い起されました。

これまでの仕事は、平日昼間のパート職という条件で仕事を選んでいました。
言葉の壁やこちらでの無学歴などからくる自信のなさから、積極的に話さなくていい仕事やもくもくと作業するような仕事しかできないのではないかと思っていました。自分のコミュニケーション力を信用できず、自分で自分にダメ出ししていることにうすうす気が付いてはいました。そのようにして就いた仕事なので内容に情熱は感じられず、時間給をいただければいいや、同僚が優しいからいいやという中途半端なやりがいでした。
しかし、子供たちの手がそれほどかからなくなってきた今、残りの人生をどう過ごしたいかと考えた時、これからは私にとってやりがいのあることを仕事にしたいと思いました。2020年から、NPO法人ハートフルコミュニケーションで学んで、子育てがいかに自分自身を成長させてくれたかを実感していたこともあって、子どもの成長に関わる仕事がしたいと思いました。これまでの子育ての経験もきっと役立つだろうと、ECEを目指すことにしたのです。

ところがそんな近年の熱い思いとは裏腹に、長年こびりついた自信のなさから、挑戦することを恐れる感覚が頭のどこかに残っていました。
自分の深いところにあった変化への拒否と、実習で垣間見た指導教員が子供たちに愛を与え続けているイメージが交互に現れ、私は長い間、仕事や子育てなど与えられた境遇でのチャレンジに積極的に取り組まず、結果自分自身で不満を作り出していたのだなと思いました。

嫌なことや苦手なことを「どうやったらできるようになるか?」と取り組むのではなく、「私には無理、関係ない」とすぐ諦めてきた自分に気が付きました。そこそこ好きなことや楽にやれることを始めては、いつも途中で困難や苦手に出会い挫折するのを繰り返していたように思います。
どんな道でも困難な局面はあり、その時どんな態度でそれに立ち向かうのか? 苦手だからと避けて楽な方を選ぶのか、ぐっと覚悟を決めて取り組むのか? 幸せな満ち足りた人生を送るのにそこが分かれ道なのではないか?私は嫌々ながらも楽な方をやるのに慣れ、できない理由を見つけて、本当に望む自分の姿へ向かうことを避けていたのではないかと思いました。「もうええ加減にせい!」という感じでした。

このあと実習に復帰すると、私の中で何かリセットされたような感覚で、とにかく私の持てるすべてで子供たちと関わっていこうという気持ちに切り替わっていました。
英語が上手くしゃべれないから、名前が覚えられないからという理由は後付けのもの。とにかく今のこの私をさらけ出して、めいっぱいできることを実践してみようという気持ちでした。
子どもたちが楽しく過ごせるようなアクティビティを用意したり、多少発音が違っていても気にせず絵本を読んだり、積極的に話しかけて関わっていくようにしていくうちに、子どもたちは、私の顔や名前を覚えてくれ、読んでほしい本があれば持ってきて膝に座ったり、アート道具を準備していれば「次は何するの?」と寄ってきたりとすぐ慣れてくれました。ECEの責任の重さをひしと感じながら、私にもできることがあると分かって嬉しくなりました。
それまで自分の言葉や行動がどう見られているかばかりが気になっていたのが、子どもたちの心身の充実のために何ができるかという視点に変わり、子どもたちの、日々一生懸命に生きているかわいい姿を見て癒されていきました。

実習中、「I love you!」と言う指導教員と「I love you, too」と応えていた2歳半のこどもの笑顔をみて思わず涙がこみ上げ、私は自分の子供たちにこんな風に笑顔で「I love you」を伝えたことがあっただろうかと、自分の子育てを振り返る機会にもなりました。
指導教員は「あの笑顔を見たら、もう辞められない!」と何度も言っていました。こどもたちの笑顔が仕事上の一番の報酬。こんな風に、自分の仕事を誇りに思える人生はステキだなと、私の中で仕事に対する姿勢や向き合い方の大転換が促された実習でした。実習はまだあと4回ありますので、また日記に登場するかもしれません。

それではこの辺で、バトンを瀧澤さんにお繋ぎします。

カナダ/チャウあつよ





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