ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

人生最大のプロジェクト


渡海さんのご家族との時間を読みすすめ、一緒に共有させていただき私も愛で満たされる気持ちになりました。

埼玉の落合です。

私は中学生の頃に見た海外ホームドラマの俳優が好きになり、俳優のことが知りたい! そのためにはその人の母国語を学ぼう!というきっかけで英語を学びはじめました。
音楽を聞いたり、映画を見たりのめり込んでいきました。両親から見れば娘が黙々と熱心に学んでいる姿勢に見えていたのでしょう。参考書がほしい、英会話に行きたいと言えば親は快諾でした。
次第に気持ちは外国へ向かうようになり、進路を決めるタイミングで海外留学をしたい事を伝えてみました。温かな空気が一瞬に凍りつき、返事はすかさずNO。父は「親は二十歳まで子どもを育てる責任がある!」と一言で終了し、母も「お父さんが言うのだからそうしなさい」。父と私の間で今にも泣いてしまいそうな困った顔をしている母を見てしまったこともあり、それ以上の話をすることを止めました。
両親はこれまでの私の姿を見ていてくれていなかったのか! 娘の私を信じてくれていないのか! と、ショックを受けたことを覚えています。

私の海外留学の気持ちは変わらず、21歳の時にカナダの語学学校に通う夢をかなえることができました。
慣れない生活スタイルに困惑することもありましたが、ホームステイをしながら、次第に毎日が楽しくなっていきました。ステイ先の家族は言葉がよくわからない私にたくさん話しかけてくれ、同じ時間を過ごすことをしてくれました。日本人だからという垣根はなく家族の一員として迎え入れてくれた感覚を持ちました。

その期間に私は、「この私でいい、自分らしい」という自信を持つことができました。
たった3か月の短い間でしたが、穏やかでゆったりとした時間をすごしました。ご縁は続き、その後も何度も訪れては一緒の時間を過ごしています。
時々、辛いことや苦しいことに直面した際、「自分らしくない」窮屈な感覚になります。そんな時にステイ先の家族のことやその時の時間を思い出すと、その時の情景や雰囲気がよみがえり、気持ちが穏やかになることがよくあります。

カナダでの時間の方が心地良いのはなぜなんだろう。
なぜ私は自分が「自分らしくない」窮屈な感覚を持つのか、考えてみました。

子どもの頃、父はとても厳しく、私は常に怒られることを恐れていました。親が怖くて親の顔色を気にして、親に気軽に話しかけることを苦手にしていました。
よく「自分で決めなさい」と言われ、その通り自分で決定することをしてきました。しかし、決定後、私は父の反応を探りながら「○○をすることをしたいです」と許可を取ることをしていました。
いつの間にか親にOKを貰わないと前進できない私ができあがっていました。親に認められないと、してはいけないという意識が窮屈に感じていた原因でした。

そう気づいたのはホストファミリーとの生活を知ったからです。まるで時間の流れ方が違うような感覚です。夕食を一緒に食べたあとは一緒にお菓子を食べテレビをみながら話したりしました。そこには対話がありました。実家では話は一方通行で、親の顔色を窺うこともしていましたから、私は家族と対話をすることが得意ではありませんでした。

ハートフルコミュニケーションを学んで初めて、「親が厳しいから」、「親から否定される返事が怖いから」という親の態度を理由にして、自分から対話をしようとしない自分に気づきました。私の都合の良い理由をつけて、親に対する恐怖心や願いが叶わない原因を親の態度のせいにして、自分を「被害者」にしているに気づきました。すなわち親を加害者にすることで自分を正当化していたのです。
私に必要なのはもっと家族の話に耳を傾けること、私が感じていることを伝えることだと思いました。

そんな時に、今秋、ホストシスターが旦那さんと一緒に日本に来る、私の住む街に行きたいという連絡をもらいました。そして先日両親に、20年来の旧友が来日することを話しました。
両親はすぐに、「家には泊められない」で、話を終了させようとしました。
長い間、自分から距離を置いていることに気づいた私は、今、私ができることは勇気を出して両親と対話することだと思いました。そこで、私がカナダでどんな生活をしてきたのか、ホストファミリーに何度も受け入れてくれていることを話しました。すると父が、「初めて外国に行きたいと言ったときは、ちょうど邦人留学生の悲しい事件が起こったから行かせたくないと思ったんだ」と話してくれました。

当時の気持ちを初めて聞くことができました。自分が当時の親の年齢を超えた今だからこそ、我が子を案じる気持ちがあったと感じることができました。もっと早く両親と話す時間があればよかったと後悔が一瞬ありましたが、心の奥に引っかかっていたわだかまりが小さくなりました。

私がカナダの3か月間でもらった思い出は、形にできる「モノ」ではありません。でも、ホストファミリーと一緒に過ごした3ヶ月という時間とそのプロセスは、今でも宝物のように思い出され、いつも私を勇気づけてくれています。
そのホストシスターが来日します。それは私にとって、両親との時間と距離を縮めていく機会が近づいているということでもあります。なぜなら私たちの街を、私たちの家族を友を彼女に知ってもらいたいから。形にはできない思い出をお土産に渡したいから。それには様々な人からアイデアを貰ったり、相手と情報を共有しながら時間をかけて準備をしていく必要があるからです。

「自分で決める」ことについて私が長年持ち続けている思い込みと向き合い、思考の癖と対峙する挑戦、私にとっての人生最大のプロジェクトです。
ホストシスター夫婦は、極東の小さな島国の友に会いに来るのを楽しみに旅行を計画してくれました。その準備の時間は、両親やまわりとの対話の時間を重ね、周囲の人たちへ感謝を伝える大切な時間になることと思っています。

それでは、私の第2の故郷カナダに住むチャウさんへバトンを繋ぎます。

埼玉県/落合陽子 








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