ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

「娘のために」から気付いたこと


チャウさんの日記を読みながら、私も「違い」にフォーカスし自ら壁を作ってしまうことがあるなと思いました。違ってあたりまえ、お互いに寄り添い合える部分、分かり合える部分をみつめられるそんな視点を持って日々を過ごしたいなと思ました。

タイの瀧澤です。
今年の4月から日本の大学の通信教育課程で学び始めました。自分の興味のある分野について学びを深めることができる楽しさにわくわくしながら、自宅でテキストを読み、オンライン授業に参加し、リポートや課題を提出し、マイペースに学習をすすめています。
そんな私ですが、1年ほど前までは大学生になるとは想像もしていませんでした。

ハートフルの養成講座を始める時には、月1回の講座に参加することに抵抗がありました。休日は家族と過ごすもの、夫の出張や外出の日程が重なったら娘の面倒を誰がみるのか、娘を習い事にも連れて行かなくては、と休日に自分の予定を定期的に優先することに後ろめたさのようなものを感じていたのです。

でも実際始まってしまえば、夫が外出しなければならない時も娘は1人で自由に過ごしていましたし、習い事も夫が連れて行ってくれましたし、父と娘の二人でお出かけする時間も楽しそうでしたし、私が心配をする必要もなかったとわかりました。何をそんなに心配し、後ろめたいとまで感じていたのか、自分でも不思議ですが、母たるものはこうでなくては(娘のことを最優先に、娘のお世話をしなくては)と無意識のうちに自分で思い込んでいたのでしょう。

もともと、私の中の母親像がそうであったわけではなく、誰かに言われたわけでもなく、一生懸命子育てをしているうちに夢中になった結果だったように思います。専業主婦でしたので、24時間娘の傍にいてお世話をし、娘の成長を見守る日々でした。泣けば抱っこをし、おっぱいをあげ、歩けるようになれば楽しく遊べるように、でも危険な目に合わないように注意を払い…そういう日々の中で、「この子が幸せな生活を送ること」が私の中での最優先事項になっていったのだと思います。

日々の中で無意識に作られたその母親像は、無意識のうちに私の生活に入り込んでいました。レストランで食事を選択する時も「これなら娘も食べることができるから、これにしよう。」とつい考え、夫に「ママが好きなものを頼んだらいいんだよ。」と言われたことも。たしかに、娘が小さい頃は私が頼んだものを二人で分けて食べていましたが、今はもう大人と同じ量を普通に食べる10歳の娘を前にして自分がそんな風に考えていることに気付いていませんでした。

そして、娘に「ママは何の映画が一番好き?」「ママの好きな歌手は誰?」「ママだったらどうする?」など私の趣味や考えを聞かれることが増えてくると、私は何の映画が好きだったかな?と自分自身に意識を向けることを忘れていたかもと思うようになりました。
何となく自分の言動と今の生活との間にモヤモヤというか違和感を覚えるようになっていました。

そんな思いを抱えながら受講していた講座は、子どもの自立のために親が何をできるかについてじっくりと考え、言語化し、また次の講座まで学んだことを実践する、そしてまた考える、私にとっては難しくも興味深い時間でした。

「あなたはどうしたいの?」「あなたはどう思うの?」「それは誰の問題?」、これは講座のなかでよくきかれた問いでした。私はどうしたいのだろう? と私自身の思いを意識するようになると、日々の生活の中で「娘のために」と考えていることの多さに気付き、子どもの幸せな自立を願っているはずの私自身が、娘から自立していないような気がしてきました。そしてその私の言動が娘の自立を妨げているのでは、と感じたのです。
娘は成長しているのに、私は24時間お世話をしていた頃に身につけた習慣をそのまま続けていることが、違和感の原因かもしれないとも感じました。

娘に「あなたはどうしたい?」「あなたはどこに行きたい?」「あなたの好きなものを選んでいいよ。」などと問いかけた時に、「どっちでもいい」「べつに」とあいまいな返事が返ってくることがよくあり、自分の意見を持って欲しい!と思っていたのですが、問いかけた隣で「ママがこれ頼んだら、あなたも食べる?それならこれにしようかな。」とか「あなたが行きたいならママも行こうかな」と言っている私がいたのです。自分の好きなことをしなさい、自分の意見を持ちなさい、と言ったところで全然説得力がないなと、今、振り返るとそう思います。

私にとって、自分の思考や感情に意識を向けることで、無意識に作られていた母親像や自立できていない自分と向き合うことができた経験、自分の中に自分でも認識していない部分があるのだと気付くことができた経験は、とても興味深いものでした。
その向き合う過程や、講座の中での学びを通して、人の心についてもっと知りたいと思うようになりました。自分の思考や感情に意識を向けるのと同様に、相手の言動の奥にある感情や思考やもともとの気質などに意識を向けることで、より相手を理解でき、より良い関係が築けるようになるのではと思うようになったのです。
そして、その思いを実行するべく、調べ始め、今の通信制大学に辿り着きました。夫にも「いい考えだと思うよ!」と背中を押してもらい、入学を決意しました。

入学の手続きを終えると、家にたくさんのテキストが送られてきました。
娘もテキストに興味津々でパラパラとめくってみていました。「何の勉強をするの?」ときかれたので、「心理学だよ」と答えると、「私はバイオロジーを選ぶな。」と娘の意見を聞かせてくれました。私が勉強をしていると、「手伝おうか?」と言ってくれたこともありました。何気なく私をサポートしようとしてくれるほどに娘が成長していることに気付き嬉しく、頼もしくも感じました。

実は今でも「娘のために」と考えていることは多いです。でも、そのことを意識できるようになりました。意識できれば干渉することから見守ることにシフトできます。完全には変わることはできないけれど、この先も学びながら新たな気付きに出会い、理解を深め、自分の大切な人々のために活かしていけたら良いなと思っています。
親自身が自立をし幸せに生きることが、子どもの自立した幸せな人生につながる、とはこういうことなのかなと感じながら過ごした1年と、この春のできごとでした。

それではここで、鈴木さんにバトンをお繋ぎします。

タイ/瀧澤 薫 





No. PASS