ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

繋がりを、再び


埼玉の岩田です。
安村さんのお弁当作りでのご主人とのやりとり、微笑ましかったです。終わったと思ったらまた始まるという複雑な気持ちの葛藤を乗り越えて、新たな気持ちでのお弁当作りは楽しめそうですね。

今回は母への不満を捨て去って、母との関係を一歩進められた話を綴りたいと思います。
幼少期から母は「良い子」でいてほしいとよく口にしていました。母の言うことを聞くことが良いことであり、母の意向と違うことをするたびに「悪い子」として叱られました。

母が普段の生活のなかで「あれはダメ」「これはダメ」といった言葉で表現するたびに、(あぁこういうのがダメなのね)とダメな基準ができ、いつの間にか、私の基準にもなりました。そして母の意向に背くたびに、罪悪感をもつようになりました。
思春期には、自分がやりたいと思ったことがあっても(母に言っても、どうせダメというに違いない)と、言う前から諦めることを選んできました。
そして“母は母自身のために私を産んだんだ“と思うようになりました。

母がいちばん嫌がったことは、友だちとの交流です。
小学生の頃、新しい友だちができても「同じ友だちと遊びなさい」と言われました。とても仲良しだった友だちにも新しい友だちができたため、私は一人でいることが多くなりました。
理由は恐らく貧困だったこと。人付き合いにはお金がかかるという母の心配を察し、「ダメなものはダメなんだ」と自分に言い聞かせました。
そしてその時、「母はお金があれば安心してくれるんだ」と子ども心に思いました。

しかし私が結婚しても、経済的な心配もなくなったはずなのに、母の態度は変わりませんでした。
母が好きなものだと思い買っていっても、口に合わないと「いらない」という。母の思うような時間でなければ、来なくていいという。または長く居ようとすると「早く帰れ」という。などなど、何かするたびにダメだしをされたように感じられ、私が母を思う気持ちは受け取ってもらえず、少しも楽しむことができませんでした。

そのうえ母からは用事のあるときに連絡が度々ありました。母が使う家電や調理道具をネットで注文することや、家電が壊れたから修理に出してほしいなど、母が自分でできそうなことでも当たり前の態度で言いつけてくる母がとても嫌いでした。母にとって頼れるのは私しかいない、応えることは義務であり仕方のないことと、母からの要求に応じるように努力しましたが、気持ちは離れていく一方でした。なんで私ばかり我慢しなくちゃいけないの! 親なんだからまずは親が子どもの要求や気持ちを受け入れるべきだと。
受け入れてもらえなかったという心の傷が邪魔をして、お盆やお正月など「帰ってこないの?」という母からの要求を素直に受け入れることができませんでした。

できれば母にこんな想いを抱かずに、素直な気持ちを伝えられたら私はどんなに嬉しいだろうと思っていました。気持ちが離れていくのを感じながら、思春期の頃からずっと思い描いていたことです。母に背いてきた自分を許すし、すべてを水に流していきたいと思いました。

ここ最近の母は、肺の持病が悪化し外に出歩くことも困難になりました。時々電話で話す程度でしたがほとんど会うこともなくとても心配でした。
心の傷が会うのを嫌がりましたが、残された時間はそれほど長くはないのではないかと感じ、それよりもっと心の奥底の自分の希望を叶えるために、まずは母に歩み寄ろうと思いました。

母が心配だから様子を見に行く。母の状態よりも自分の気分が乗った時に会いに行く。
その時思いついたおみやげを準備する。細かいことは考えない。日帰りで顔だけ見て帰る。そして自分が気分良く帰ってくること。

往復7時間かけて、滞在時間は2時間ほどで行ってきました。
自分中心に考えることは、とても気持ちの良いものでした。母の反応は一切考えないことは、なんといってもラクで、そして楽しい。

車を運転中、ある人から教えてもらった言葉「ホ・オポノポノ」(古来ハワイアンが家族間の問題を探り調和を取り戻すために使ってきたもの)という4つの言葉をつぶやきました。

ありがとう

ごめんなさい

許してください

愛しています

高速道路を走らせ見えてきた大自然に向かって、それまで遠ざけていた両親と私を育ててくれたすべての人や物を思い出しながら・・・。するとそれまで抵抗し、緊張していた心が解けていくような気持ちになりました。

実家に着くと、両親は嬉しそうに出迎えてくれました。思っていたより元気そうで安心しました。そして母と娘達が生まれた頃の話など思い出を語り合い穏やかな時間を過ごしました。
帰宅後、母からは「たくさん話せて自分でもびっくりした。楽しかった」とLINEがありました。母を喜ばせようとするのを諦めたことで、私自身も母と居ることを楽しめました。

あらためて振り返ると、母が喜ぶ事をあれこれ考えていた一方で、母が求めていることには応えたくないという自分のちぐはぐさに笑ってしまいます。でもその奥には、もう子どもではなく一人の大人として母に見てほしいという気持ちがありました。

今回、母と楽しく過ごしたことで、そんなことはどうでもよくなりました。母から見れば、私はいつまでも「子ども」であることに変わりはないと思えたからです。
これまではずっと、「母にどう思われるか」が私にとっての重要な行動基準で、母に背を向け離れたことをいけないことと思っていましたが、そんな自分も良しとして母に歩み寄ることができました。そして自分のどんな行動も許せるようになりました。
高齢となった母にはこれからサポートが必要なのは当然で、私が気持ちよくお世話ができるようになりたいという想いを叶えることができました。

それでは次の渡海さんにバトンを渡します。

埼玉県/岩田元子 








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