ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

私の頭の中で起きていること


埼玉の落合です。
渡海さんがお子さんを心配しつつ信じ続けることが、相手に伝わりまた渡海さんに戻ってくる…。深い、深い渡海さんの愛情を感じました。

私は数か月間限定で毎週1回、市民講座に出席しています。
その会場は駅前の大きなビルで、そこはかつて私が小学校2年生まで通っていた学校の跡地です。
自宅から電車を使えばすぐに行くことができる場所ですが、実家にスクーターを停めて子どもの頃に使っていた通学路を歩いてみたいなと思って、徒歩で通っています。

実家から会場まで5分程度。歩きながら会場へ向かっている間に私の頭の中でタイムトラベリングを始めました。始めは、ランドセルを背負っていた自分を思い出しながら童心に返った気持ちになったり、祖父と散歩した記憶、目をつぶると桜並木や銀杏の大木が並び、路地に入ると駄菓子屋さん情景が浮かんできます。しかし目を開けると、今の、まったく変わってしまった現実の風景が目の前にありました。

もともと私は、人々が時間と労力をかけて作り、守り継承してきたものや事柄を、五感を使って感じ取り、作られた当時の事について想像を大きく膨らませるのが好きです。
ひとりでワクワクを感じたり、感動で目頭を熱くさせたりすることもあります。「変わらないものこそいいものだ」という思いも、私にはあります。ですから、昔の懐かしいもの無くなってしまい、もう戻ることも戻すことも出来ないのを目の当たりにして、「変化」に対する悲しさを感じました。
その一方で、生まれた時は自分でご飯を食べたり、歩いたりすることが出来ないくらい小さな存在だった人間が、段階を経て出来るようになっていく「変化」には、喜びを感じます。「変化」についての自分の気持ちに矛盾があると感じたのと同時に、この複雑な内面を誰も理解してくれないと腹立たしく思うこともありました。

なぜなら、私の持つ想像の膨らむスピードはとても速くて情報量も多く、それを他者に最初から最後まで細かく伝えるとなると、時間がかかってしまったり、説明している間に私のワクワクが薄れてしまったり、聞いている相手もつまらない仕草をしてしまうからです。
私は「理解されてない、聞いてもらえない」と感じながら、時には「お前(私)はおかしい」と言われたこともあり、人付き合いが難しいと悩んだり、生きにくいと感じることを経験しました。

その思いを持ちながら、紆余曲折し自分探しを続けていきました。そのなかで、時間を遮らず話をじっくりと聴いてもらう機会に恵まれたことで、今にも破裂しそうな風船のようになっている私の頭の中の思考や胸のあたりつかえが、小さくなり空気が抜けていく感覚を持ちました。
充分話すことができると感じると肩の力が抜け、気持ちが落ち着き、相手のことも受け入れられる余裕が出てきました。

改めて「話を聴く」ことを学び、聴く話すことを意識し続けたことで、自他共に承認することができるようになりました。そして自分の気質を理解し、陥り易い傾向をわかるようになると、良い時もそうでない時も自分そのもので、その自分でよいと認められるようになり、人と関わることが怖くなくなり、生きにくいと感じる時期は過去のものとなりました。

先日、二十年来の友と話をしました。お互い、かつては若く、自分のことだけに注目し、他者の意見に左右され、気にすることがあったのですが、年齢を重ね、自己理解ができるようになったことで周囲が見えるようになり、愛する者が増えたり、大切にすること/ものができたりするようになりました。そして、今があるからこそ、未来を創造し、過去を振り返ること、その思い出が懐かしさと、戻ることのできない事実があるから悲しさが生じたのだと感じました。
また、変わること/変わらずにいることについて、どちらかが良いことで、どちらかがそうでないと決めつける自分がいることに気付けました。

理解されないことに立腹するのも自分であることを認め、様々な感情を持ち合わせられることを自身の特技だとリフレームできる今、私の想像力はこれから最大限どれほどまで発揮できるのか楽しみになります。

それではバトンをカナダのチャウさんに繋ぎます。

埼玉県/落合陽子 





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