ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

分かってほしい


年齢を重ね、過ぎ去った戻らない日々を懐かしく切ない思いで振り返ること、私も多くなってきました。良い悪いと簡単には言葉で表現できない複雑な内面を併せ持つ自分を、そのままで私であると受け入れられた落合さんの清々しさが日記から伝わってきました。

カナダのチャウです。
現在小学生の末っ子がまだ乳幼児の頃、私は働いていないのだから日中に子どもとお昼寝すればいいと言って、夫は夜泣きや夜の授乳を私に丸投げし、自分は仕事に差し障るからと別の部屋でぐっすり朝まで寝ていました。
寝不足からくるイライラとそれを一緒に解決しようとしてくれない夫への不信感は長らく私の中で積もっていきました。お昼寝とて30分もすればいい方で、トイレも行きそびれるてんてこ舞いな乳児との日々。それなのに、夫は外で仕事してるからという理由で、食品買い出しやご飯作りなどの家事、お風呂やおしめ替えなど子育て全般の大変なところは私任せで、お兄ちゃんたちとテレビを見たり、機嫌のいい時だけ子どもと遊んでいる、なんて調子のいい人なの! と、当時の私は憤っていました。

夫はいいとこどりでズルい、子育てよりも外で仕事してる方が楽でしょと思っていました。せめて私にも仕事があればと現実逃避から外で仕事をしたいと考え始めたり、でも乳児を保育所に預けてまでやりたい仕事があるわけでもなく、一人煮え詰まっていました。
こんな時ちょっと立ち話できるご近所ママ友、息抜きに寄れる実家、今度お茶しようと声をかければ会える古くからの友だちがいたら良かったのかもしれません。日本では当たり前にあった心の寄りどころが当時の私のまわりにはなく、私の意識の矛先は夫だけに集中してしまっていました。

夜泣きの関わり方に端を発し、年の差育児や日々の生活の大変さに私が不満を言い始めては口論になるというパターンを何年も繰り返していました。夫からは「こんなにやってるのに感謝されない」と逆に言われ、「は? 何それ。ポイントずれてる」と歯車の合わない夫婦喧嘩を繰り広げていました。

夫は、物事や人に対して積極的に自分の意見を言います。自分にも人にも厳しく、時間を惜しんで興味のある分野を学び続ける向上心がある一方、家族である私や子どもたちにも自分の強さや正しさを強調するような圧迫感を感じさせることも多いので、私はこちらの言うことを夫に理解させるのは難しいと諦めを感じてもいました。

私としては夫にただ話をふんふんと聞いてもらいたいだけでした。勝手の違う海外生活で戸惑う私の気持ちを分かってほしい、共感してほしいと思っていました。
しかし、夫はそういうタイプではなかったようで、私や子どもの至らなさを見つけては、なぜやらないんだと逆に鼓舞してくるのでした。私と夫の思いが完全にすれ違っていたので、子どもの前で喧嘩になるくらいなら話さない方がまだましだと会話の乏しい夫婦になっていました。

こんな夫へのまなざしが変わってきたのはいつ頃だろうと考えてみると、数年前のハートフルコーチ養成講座の受講がきっかけでした。
講座で、自己開示することの大切さや「言いたいことを爽やかに相手に伝える」という課題が出た時、「爽やかに」というのがいかに私にとって難しいかを思い知りました。まずは子ども相手に練習したらすぐにできましたが、夫相手だとすぐ昔年の恨みや疑いが入り込み、言葉に棘がこもってしまうのです。

しかし子どもの幸せを考えるならやはり私と夫との関係改善は避けて通れないし、私もそれを望んでいると思いました。どうしたものかと悩んでいたら、たまたま近くに住んでいる友人の家にお邪魔した際に、彼女が旦那さんに「いってらっしゃーい」と明るく声をかけていたのを見て、「こういうふうに言われたら嬉しいよね。」と衝撃を受けたのです。
自分流のやり方に行き詰っていた私は、これは練習するしかない! と彼女の「爽やさ」を思い出して真似してみることにしました。最初は気恥ずかしさもありましたが、明るめの声のトーンになったことに、夫もまんざらでもないようでした。

型から入った「爽やかさ」でしたが、こちらに敵意がないと安心したのか夫の方もだんだんと居間で過ごす時間が増え会話が戻っていきました。
でも私は、会話中にしょっちゅう心の中で批判的に反応している自分にも気づきました。「爽やかさ」を持続することが結構難しい。それでもフラットな気持ちを心がけて相手の話を聞いてみると、いろいろなことが今までと違った観点で伝わってきました。
そもそも夫婦共働きが主流の国だということ。食べるために働かざるを得ない移民の多いカナダで、やりがいのある仕事が見つからないというのは、贅沢な悩みだということ。あなたの国にいるんだからもっとしっかり稼いで来てよという私の夫への依存心。その背景には私は家事も子育ても外国暮らしも大変なのよという被害者意識がありました。

実際に批判していなくても、夫は私の沈黙の中に現状不満の心の声を感じ取っていたのだと思います。夫もまた、私に仕事のプレッシャーを解ってもらえないという辛さを抱えていたのだと気が付きました。辛さの対象は違うものの、一人で抱えきれない思いを相手に分かってほしいと切望していたかつての私と同じに見えたのです。

夫の辛さが分かってからは、私の脳内で湧き起こる夫に対する小さな批判の声に気が付くたびに、「あ、またでてるわ」とひと呼吸置き、フラットをさらに心がけるようにしました。すると今まで夫がやってくれるのを当たり前だと思っていたことは、本当はすごくありがたいことなんだと感謝を感じられるようになり、結果として、自然に感謝の言葉が日常に増えていきました。
あなたが働いてくれるから、いつも美味しいご飯が食べられて幸せ、ありがとうとか、運転してどこどこへ連れてってくれてありがとうとか。やっぱり夫が「感謝されない」と言っていた通り、以前の私は夫のしてくれていることを当たり前とスルーし、逆にやっていないことを見て批判していたのだと思いました。

私自身が仕事を始め、外で働く大変さが分かったことも追い風になりました。家族時間をホッとできてありがたい時間であると思えるようになってきたこと。何よりも夫に精神的、経済的に寄りかかり過ぎていた自分に気づきました。
「自分もこの社会でなんとかやっていける」という静かな自覚が生まれると共に、これまでなんだかんだ言いながらも経済的に支えてくれていた夫への感謝を感じ、過去のわだかまりが溶けていったように思います。夫の支えがあったからこそ、ハートフルの学びも体験でき、私は今ここで人生を豊かにしていけるのですから。

ここまで来るのに随分時間がかかりました。お互いがやっていることを当たり前過ぎて気づけず、やっていないことを見つけては不満を言うという形で今までたくさん喧嘩をしてきました。「爽やかに」を型から真似てみたことが、この負のループから抜け出すきっかけになりました。これからの夫との関係においては、彼に寄りかかり過ぎずにほど良い距離感で仲良く過ごしていけたらと思います。
でも寝不足はやっぱりもうコリゴリ。自分の限界も見極めつつ、相手と爽やかに話せるよう自分を整えて、楽しいことに人生の時間を使っていきたいと思います。

ではこの辺で、タイの瀧澤さんにバトンをお渡しします。

カナダ/チャウあつよ  





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