ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

「幸せ」の正体


鈴木さんの日記を読んで、私の中にある夫や子どもたちへの甘えに気が付きました。自分が変わることより自分は変わらずに自分のやり方や思いを押し通す方が簡単なので、特に心の余裕がない時は我を通そうとする私。気をつけていきたいと思いました。

石川県の石垣です。今年もどうぞよろしくお願い致いたします。

さて、2024年は思いがけない一年の始まりでした。元日に発生した能登半島地震で被害にあわれた皆様には、心よりお見舞い申し上げます。
石川県内に住んでいる私は家族と共に一時的に避難しましたが、幸いにも自宅の物がいくらか散乱するくらいで無事でした。

テレビは断水や停電のニュースで溢れていて、数週間は余震に備えてわが家も風呂水を捨てずに溜めておいたり、スマホや電子機器をこまめに充電していました。
私は蛇口から流れる水を眺めながら、蛇口をひねればすぐにキレイな水が出る幸せ、スイッチを入れれば暖房器具が部屋を暖めてくれる幸せをひしひしと感じました。と同時に、なぜ普段からいつもあったこの幸せを忘れていたんだろうとも感じました。

元旦以降、時々強い揺れの余震が起きました。夜中や明け方に布団に入っている時にも起こり、その度に咄嗟に体が反応して隣で寝ている息子(小5)に覆い被さるように守ろうとする自分がいました。
朝、目が覚めてからそんな自分の行動を思い出した時、無意識の中でも息子を大切に思っている自分を自覚するとともに、息子を愛おしく思う気持ちで胸がいっぱいになりました。

しかし、地震が起こる前の私はというと、新年に義実家に帰省を控えていたことも相まって、息子の箸の持ち方、姿勢、行動が遅いことなど、できていないところばかりが目につき、つい口うるさく言ってしまいがちでした。それが一転、「無事で居てくれるだけでいい」と無条件に彼を受け入れられ、できていないことなどどうでもいいと口うるさくなっていた自分を反省しました。

正しく箸が持てなくても、姿勢が良くなくても、行動が遅くても、彼が存在しているだけで十分で、元気で側に居てくれるだけで幸せ。「日々、共にいる」という土台となる幸せがあるからこそ、人前で恥ずかしくない振る舞いができる私の理想の息子に近づけようと、口出しできていたことに気づきました。
いつもそこにあった幸せ(=彼の存在そのもの)を忘れて、その上私にとってのさらなる幸せ(=理想の息子)を求めていたのです。彼を強引に変えさせてまで自分のさらなる幸せを得ようとしていたなんて!

水道や電気、そして、大切な息子の存在そのもの。忘れてしまっていたこれらの「いつもある幸せ」の共通点は何か? と考えを巡らせた時、「当たり前になっていた」ものだと気づきました。
水道や電気などはいつでも使えて当たり前。それらを使った便利な日常も当たり前。また、息子がケガや大病などせずに一緒に暮らしていること、そして、成長することが当たり前。そう感じていた自分がいました。さらには、布団に入る息子に「また明日ね」という言葉が簡単に口を突いて出る私は、当たり前に明日がやってくると思い込んでいることにも気がつきました。

今日も新しい朝を迎えられた。
働く場所がある。
温かいお風呂に入れた。
お腹いっぱい食べられた。
家族と共に健康に過ごせた。

毎日の平凡な「当たり前」の中に、すでにたくさんの幸せがありました。 突然無くなってしまう可能性を秘めた「いつもある幸せ」は、「当たり前」というフィルターに隠れて見えづらくなっていましたが、私はすでに幸せに包まれていたんです。
まわりの環境や人は何も変わっていませんが、当たり前にしないで「いつもある幸せ」を感じてそれに感謝した時、私の心は穏やかに静まりました。そして、ますます幸福感が増していったのです。

日々の「やらなければならないこと」や「足りないこと」ばかりに気をとられて「いつもある幸せ」が見えなくなっていた私ですが、今回の地震で立ち止まることができました。

息子の存在そのものが私の幸せだということを、日常の中でも忘れずにいよう。だからと言って放任するわけではなく、もちろん、私の理想の息子に近づけることでもなく、彼が持っている力を伸ばして成長していけるようにサポートしたいと改めて思いました。

また、息子だけでなく遠く離れて暮らす娘、そして夫の存在も私にとっては尊いものです。彼らがただ居てくれる幸せ、心が繋がっている幸せを噛み締めながらこれからの日々を過ごしていきたい。当たり前にしないで「今ここにある幸せ」、そしてそれらへの感謝を忘れない自分でいるために、この日記を綴りました。時々、読み返していこうと思います。

では、この辺りで平沢さんにバトンをお繋ぎします。

石川県/石垣恵美





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