被害者ポジションと解決者ポジション
あけましておめでとうございます。
五十君です。
來山さんの親としての覚悟、ずしんと我が身に響きました。
ついつい子供たちが心配になって口や手を出してしまいそうになりますが、彼らの力を信じて見守っていきたいと改めて思いました。
私は今回、被害者ポジションと解決者ポジションについて書きたいと思います。
今私は夫の転勤で12月から中国に来ているのですが、年末に1ヵ月にわたる隔離期間がようやく終わろうとした時、会社の業務上の事情により中国の他の都市に移動するよう指示がありました。3人の子供達が通う学校について半年かけて調べたり、オンラインで何度も面接やテストをしてもらい、子供達もようやく年始から登校できることを楽しみにしていた矢先でした。現地での住まいも探し、新しい生活に家族全員の気持ちが向かっていた最中の突然の変更に、頭も心も混乱し、正直心がぽきっと折れてしまいました。
また別の都市に移動となれば、子供の学校も選び直さなければならない、中3長男の受験もやり直し、さらに他都市から入ってきた人はコロナ予防で2週間学校へ通うことも許されない、家探しもゼロからやり直し、など戸惑いや不安が次々と溢れ出し、夜中に何度も目を覚ましてしまうほどでした。
2021年01月04日(月)
No.493
(日記)
親の役割
広島の來山です。
上村さんらしい素敵な涙の話。上村さんの気持ちや涙をご両親が愛情たっぷりに丸ごと受けとめてこられたからこそ、上村さんは思いっきり泣けるし、周りの人の涙もそのまま受け取れるのだと納得しました。
振り返ってみれば、9年前にハートフルコミュニケーションに出会う前の私は、子育ては、親が子どもをいい子にすることだと思っていました。だから、子どもがみんなに好かれて、色々なことにチャレンジして、何でもできるように教えてあげることが親の役割だと思っていました。
そんな私は、生まれたばかりのもうすぐ20歳の息子と対面した時、愛おしさを感じると同時になぜか「私はこの子を立派に育てられるだろうか」、というぼんやりとした不安を抱きました。現在24歳になる娘が泰然としているのに対して、息子のひと時も私から離れない後追いの時期、終わりのないイヤイヤ期にどう対応したらいいのかわからなかった私は混迷していました。その後、幼稚園に行きたくないと泣いてばかりいる彼を受け止めることができず、どうにかして変えなければと焦っていました。
2020年12月21日(月)
No.492
(日記)
涙の話
「話すこと」「書くこと」を通して〈私には大切なものは全て備わっている〉と思い出した名和さん。しっかりと自分と向き合い対話できる名和さんは弱虫なんかじゃないですね!
これまでのブログを読み返してみると私は毎回泣いています。自分でもよく泣くほうだという自覚もあります(笑)。そんなわけで今回は涙の話をしようと思います。
私は不安やイライラが高まると(ああ、そろそろ限界だな)と気づくことがあります。
心の奥にどす黒い影がもやもやと湧いてきて形を成すことなく漂う感覚です。
そうなると何もできない、どうにもならない。そんなふうに気持ちが落ち込んでいくのです。
そうした気持ちに気づいたとき、私は会社に向かう車の中で泣きます。
まずは大好きなロックバンドの曲を大音量で流しながらテンションを上げ、心に染み入る曲に変わったとき、思い切り涙を流すのです。流れる涙を拭うこともせず、ときには声を上げながら泣きます。小さな交差点。信号待ちの対向車のドライバーに私の泣き顔が見えているかもしれません。でもそんなのお構いなしに泣き続けます。
すると会社に着く頃には涙と鼻水とともに黒いもやもやも少しは小さくなっています。
不思議なものでこういう状態のとき、ひとりで泣くのが私にはストレス発散になるようなのです。それはまだ誰かに話す段階にない、つかみどころのない気持ちの揺れに、押しつぶされないようにするための無意識の自衛策なのかもしれません。
だから私は心が悲鳴を上げたら車に乗り込みボリュームを上げることにしています(笑)。
そんなふうに積極的に泣くこともある私ですが、自分でも思いがけず流した涙もあります。それは母が亡くなったときのことでした。
2020年12月14日(月)
No.491
(日記)
話すこと、書くこと
兵庫県の名和です。
自分を信じて自分に「GO」を出す頼もしい息子さん。息子さんの「好き」を見守るやまださんの視線があったればこそ!と思いました。
10月初頭のことです。
「胸部レントゲン撮影の結果のことでドクターから直接お話したいことがあるので来院ください」。健診を受けた病院から一本の電話がありました。不安を覚えた私は、電話口の女性に「何か良くないことですかねぇ? 緊急入院とか無いですよねぇ?」と遠回しに探りを入れました。「いえいえ、そんな。とにかくいらしてくださいね」と曖昧に応える女性の口調に更に不安が募りました。
胸騒ぎが止まらなくなった私は、ネット検索に首っ引きになっていました。様々な情報が入って来て、私の中にどんどん不安が募っていきました。堪らなくなって妹に話すと「健診で引っかかっても、7割ぐらいは問題ないらしいよ。毎年、健診を受けてるんだから、もし最悪でも超早期ですぐ治るわよ」と言ってもらえて、少し元気をチャージできました。
2020年12月07日(月)
No.490
(日記)
子どもの「好き」を見守る
東京のやまだ です。
本藤さんの1年近くの闘病生活、そしてご長男の葛藤や決断、それぞれの想いに読んでいて胸が熱くなりました。今後ともお身体を大事に過ごしていただきたいと思います。
さて、我が家の長男(小6)は今、サッカーに夢中です。ポジションはGK(ゴールキーパー)。逆にGKになりたくてサッカーを始めたという少々変わり種でもあります。
学校の休み時間に何度かGKを任され、スーパーセーブを決めた(本人曰くですが・・)そんな些細なことがきっかけとなり、自分はGKに向いていると思い込み始めました。そして「将来は、日本を代表するGKになる!」と熱く夢を語るようにもなりました。
2020年11月30日(月)
No.489
(日記)
心が軽くなった秋
東京の本藤です。
お嬢さんたちの成長を噛みしめていらっしゃる中溝さんのお話に、ほっこりと温かい気持ちになりました。子どもの小さかった頃の思い出って本当に感慨深いですよね。
さて、いつの間にか紅葉の彩りが美しい季節になりました。我が家はここ数年、秋になると予期せぬことが起こりがちで緊張して過ごしてきたのですが、つい先日、今年の秋は大丈夫かもと安堵の感覚を味わいました。それは10日ほど前、「がんノート」(がん患者支援団体)主催のオンライン対談イベントに親子で出演させていただいた時のこと。親元を離れてシェアハウス暮らしを始めた長男をスクリーン越しに見て、もう大丈夫なんだな、そう思ったからです。
思い起こせば、ちょうど4年半前、私は乳がんの告知を受け、約1年近くの闘病を経験しました。
2020年11月23日(月)
No.488
(日記)
秋ですねぇ
千葉のなかみぞです。
大下さんのお話を伺って、娘達(小6双子女子)が話を聞いてほしいと思ったとき、真っ先に浮かぶ顔が私であってほしいなあと思いました。
先月、体育発表会(運動会の代わり)が行われました。競技は徒競走と演技のみ。毎年M子が活躍するリレーや親子競技もカットされ、学年ごとに時間を区切られて保護者も入れ替え制でした。児童一名につき保護者一名。毎年、来賓(敬老)席に陣取る向かいの爺婆は応援に行くことができませんでした。残念。当日は、1年生のお世話係で奔走するフタゴザウルスの姿が微笑ましく、1年生に混ざって座っていると、ひときわ身体が大きく感じられました。5・6年合同の演技も終わり、満足気な娘達の表情にホッとしたけれど、何だか気分が晴れない。なぜなら、全ての競技は午前中で終了し、子供達のお昼は給食。お弁当は要らなかったのです。
2020年11月16日(月)
No.487
(日記)
「うざい」ってどういうこと?
広島の大下です。
桜井さんが自己肯定感に向き合われて、どんどん軽やかになっていかれるのが伝わってきました。
さて、先日の夜のことです。
ベッドで小学1年生の娘に絵本を読んだあと、(そういえば今週末、友達を家に呼んで遊びたいと言っていたな)と思い出しました。
娘に「学校で友達に都合を聞いてみた?」と尋ねると、なんだか言いにくそうな、困ったような表情で「…あのね、どう言ったらいいか、言い方が難しいんだけど…」と言ってきました。
「ん?なぁに?」と聞くと、しばらく娘が沈黙したのち「…あのね、『うざい』ってどういうこと?」と聞いてきたのです。
一瞬どきっとして「『うざい』ってどこで聞いたの? 誰かに言われたのかな」と、努めて冷静に聞いてみると、「〇〇ちゃんに『うざい』って言われた…。どういうことなん?」と、もう一度聞いてきました。
2020年11月09日(月)
No.486
(日記)
恋焦がれた自己肯定感
大阪の桜井です。
楠野家の愛あふれるサバイバル育児、うちでもとり入れたいです。
最近、「あれ、なんだか変わることができたかもしれない!」と思うことがあります。
それは、ずっと恋焦がれていた、自己肯定感が私の中で育ってきたと思えることです。自分のいいところも、ちょっと厄介だなと思うところも、全部ひっくるめてまるごと私、そんな私でいいんだ!と思えるようになってきました。
8年前に長男の子育てに悩んでハートフルコミュニケーションに出会いました。そこで子どもが幸せに自立するためには、子どもの自己肯定感を育てることがとても大切だと知りました。そして、そのために愛情をたっぷり伝えることが親の最も大切な使命だと学びました。それ以来、子どもにたっぷり愛情を伝えて、自己肯定感のある子どもに育てたいと思っていました。けれども、そもそも自分のことを大丈夫だよ、と思っていないので、子どもに対してもコントロールしようとすることが多くなってしまい、おおらかに、愛情を伝えることができていないと感じていました。
2020年11月02日(月)
No.485
(日記)
鎧を外す
東京の楠野です。
日々の忙しさに後回しにしがちな自分リセットの儀式。いぎみさんの日記を読んで改めてその大切さを思い出させてもらいました。先週から朝起きる時間を少しだけ早くして、瞑想時間を伸ばしています。
私にとって瞑想の時間はゆったりと頭を休めて何も考えない「空」のとき。時間にして1日5〜10分たらず。
目をつぶって、頭の中のせわしない思考を止めてふわっと手離し、がんばってる自分を意識の中で抱きしめる。「それでいいんだよ」と、出来ないことだらけだけどちょっとだけ人の役に立つ事もできる、そんなありのままの自分を丸ごと受け入れる時間です。
人からの評価を期待することを手離してから、子育てのこだわりも手離す事が少しずつできるようになった気がします。
周りから見てどう見えるのか、人から評価されるかを気にしていた頃は「こうあるべき」に縛られて理想像からはみ出したものが許せなかったり、あるべき姿を装うためにたくさんの重たい鎧を着込んで武装していました。
2020年10月26日(月)
No.484
(日記)
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