ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

やる気の土台


兵庫の羽木です。
自分の中の「べき」を手放し、事実を見る。私の課題でもあります。ほほえましい田中さん親子のやり取り。押さえつけるのではなくお子さんと向き合う田中さんに敬意と、エールを送ります。

今回は、何年か前、地元の自治体が主催した講演会に行って、子育てを振り返った時のお話を書いてみたいと思います。

講師は宮本延春さん。テーマは「【キミのためにできること】〜育てよう自己肯定感〜」。
宮本さんは子ども時代、貧困と虐待、酷いいじめにあう中で毎日をただ無事にやり過ごすことしか考えられなかったそうです。中卒で社会に出て、初めて親身になり大切にしてくれる人に出会って、そこから生きる意欲や好奇心が湧いて人生を切り開いていった方です。
なんだか胸に残った言葉がこれです。
「中学の担任に当時、進学を勧められ、『どうして頑張らない!』と言われたが、当時の僕には将来を考える余裕などなかった」。
食べることさえ不安ななか、いじめられないよう、父親に殴られないよう息をひそめて毎日をやり過ごしている状態で、将来を考えろ、受験頑張れと言われても、無理ということです。
「人は、心身ともに安心で安全な場にいられて初めて頑張れる」。
言葉にすると至極当然にも思えることではあるのですが、なぜか講演が終わった時、「あー、息子がやる気にならなかったのも当然だな」と、一人で呟いていました。そして、当時の息子と自分に思いが飛びました。

中学に入った頃、山のような課題を前に、休日なのに遊ぶでも勉強するでもなく一日中課題の前でぼーっとしていたり、課題を消化できなくて部活の練習を停止されている息子を見て、「どうして頑張らないんだろう。さっさと課題を済ませて好きなことをすればいいのに!そうしたら部活だってできるのに」と、よく憤慨していていました。
中学に入ってからまったく勉強しなくなり、反抗期も加わって態度も悪く、やる気のなさと、どうせ俺なんかと何事にも投げやりな息子に憤り、悩んでいました。当時の私は、ただ、息子が怠けているようにしか思えず、どうして自分の幸せのために頑張らないのか理解できなくて、なんとか息子にやる気を出させようと躍起になっていました。

宮本さんの話を聞きながら考えたのは、「息子はどうだったんだろう。安心安全な場所に居られたと言えるのだろうか」ということです。
心身の安全が脅かされるのは虐待やいじめ、貧困に限ったことではない、日常の中にも危機にさらされることはいくらでもあるように思います。学校。友だち関係、先生との相性、クラスの雰囲気、部活での立ち位置、学校で心地よい居場所があるのかどうかは思春期の子どもにとって何より重要とも聞きます。新しい環境の中、必ずしも簡単に心地いい居場所を作れていたわけではなかったかもしれません。男の子は母親だけには辛かったことを知られたくないと言います。学校でのこと全部はわからないけど、子どもは親の知らないところでいろんな思いをして、その中で葛藤したり消化しようと頑張っているわけです。
そう考えると、最初の一年間怪我で顔に血種があったことや、起立性調節障害になり凄く体調が悪かったこと、反抗期のせいかと思っていたけど笑顔が減っていた時期、チックが表れたり不安定な時期の表情などが次々と頭をよぎりました。勉強どころではなかったこともあったかもしれません。

その疲れを癒せるはずの家はどうでしょう。家くらいは安心安全な居場所になれていたでしょうか。
思えば私は「どうして頑張らないの」と責めてばかりいました。責められ、否定され、ああしろ、こうしろとうるさく言われていては心地よい居場所だったとは言えないでしょうし、愛してる、大切に思っていることも伝わっていなかったのかもしれません。
ハートフルコーチ養成講座で、「命令や指示されてばかりだと、親が言うようにできていない自分は愛されていないと受け取る危険がある」と学びました。どんなに大切に思っていても、間違った接し方をしていては伝わらないということを学んで呆然とした記憶がよみがえりました。

「親の言う通りでなくても、どんな自分でも大切に思われていることを確信できる安心安全な場所」。それがあって初めて、自己肯定感も育ち、子どもは安心して将来を考え、やる気も起きる。子どもにとって幸せに生きていくのに必要な、大切な土台です。このハートフルコミュニケーションで学んだ「あるがままの子どもを愛する」ことと、宮本さんの「自分という存在そのものを大切にしてくれる人に出会えて初めてこれからのことを意欲的に考えられた」という実体験から伝わってくるものがリンクして、講演会の後、「息子がやる気にならなかったのも当然だな」と口をついて出たんだなと思いました。
当時の、もしかしたら息子にとって一番大変だったかもしれない時期に、家での安心安全な居場所を作ってやれてなかったことに、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

幸い、息子はそんな私に反抗してくれて、悩んだ私はハートフルコミュニケーションと出会い、息子への扱い方や関わり方を変えることができました。前回のブログ「ターニングポイント」で書いた「息子をできる人として扱う」ことで、徐々に息子に信頼と愛情が伝わり、人生を自分で考え、やる気をだして頑張るようになりました。

今はもう大人になり、自立した息子。私にできることは、どんな君でも大切だよ、君なら大丈夫のメッセージを胸に、離れて見守りながら、疲れたらいつでも羽を休めに安心して帰れる居場所でいることなんだろうなと感じる今日この頃です。

では、今回はこの辺で山本さんにタスキを渡します。

兵庫県/羽木絵里  




2021年10月04日(月) No.532 (日記)

No. PASS