ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

時を超えた想い


★★★ 第11回 オンライン・ホッとカフェのご案内 ★★★
【日時】2022年8月27日(土)10〜12時
【参加費】無料
【方法】オンライン(ZOOMを使用します)
【お申し込み】
https://ssl.form-mailer.jp/fms/cfefe9db748100

季節ごとの恒例、「訊いてスッキリ&話してスッキリ」のオンライン・ホッとカフェ。
夏のカフェで話題にする日記は、6月20日掲載の 「カレーにするか、にんじんにするか」です。
子どものしつけに思い悩んだ日々からの脱出を綴ったこの日記を読んで、訊きたくなったこと、話したくなったこと、思い出したことのある方。
菅原裕子や執筆コーチたちとざっくばらんに語り合いませんか?

★★★

埼玉の岩田です。

安村さんが息子さんのやりとりを通して、「これは誰の問題?」と息子さんを尊重する選択を配慮した母としての愛の深さを感じました。私の場合、母と子はいつも一括りのような気がして切り離すことの難しさを痛感していました。

先日母から手紙が届きました。「お母さんが入るお墓について探しているけれど、どうしたら良いか分からない。こんなことを考えたら怒られるかもしれないけど・・あなたの家の近くに樹木葬をやってくれるところをインターネットで見つけたので行って見てきてくれない?」といった内容でした。今まで母から何通の手紙を受け取ってきたかしれません。母は私に面と向かって言いにくいことがあると手紙で伝えてきます。

私が中学生の頃だったでしょうか、初めて?反抗して自分を主張した翌朝、2階の私の部屋から1階のリビングへ向かう階段の途中に手紙がそっと置かれていました。
その内容は、母の主張と私の反抗した態度に母が驚き悲しかったという気持ちが書かれていました。一晩泣きはらした私の目を見ても、母は何もなかったかのように「おはよう」と声をかけました。何事もなかったように振る舞っているので、私も何も言えず母の気持ちを傷つけてしまった自分を責めました。
それと同時に(母はずるい、なんで手紙?自分だけ言いたいことを言って私に我慢しろっていうこと?)
私が自分の思っていることをぶつけると母は手紙を送ってきました。そのたびに、胸が苦しくなるのと同時に罪悪感でいっぱいになりました。

なぜ罪悪感が湧いたのか、今思うと母は子どもの頃の私の中では100点満点の母だったからです。
母は私が嬉しいと思うことや嫌だと思うことを、言葉にしなくても知っていました。
3度の食事は健康に気遣って、手作りの物が中心でした。風邪をひいたり体調を崩すと、胃腸に優しい食べ物を作ってくれたり食べられそうなものを用意してくれました。その人が好きな物や嫌いなものを知っているので必ず喜んでくれるものを振る舞います。料理をすることがとにかく好きでした。朝から晩まで部活で忙しい私にマッサージをしてくれたりスポーツドリンクを作ってくれたり試合当日にはベストコンディションで望めるように様々なサポートをしてくれました。
こんなに人のことを考えてあれこれ世話をやいてくれる、人に尽くしてくれる人はいるのだろうかと、感心していました。

しかし、母から手紙を受け取るようになった頃から母のことを受け入れることが出来なくなりました。
私がこれ以上母を受け入れることが無理だと思ったのは、夫が亡くなった後でした。
あまりにも辛くて子ども達と静かに過ごしたいと、母に伝えると母はまた手紙を送ってきました。私が拒絶すると少しでいいからどこかで会えないかと何度も連絡が来ました(もう、本当にいい加減にして!)母がどう感じようとそんなことはもう考えない。
もう振り回されたくないと思いました。

そこでまずは、申し訳ないと罪悪感を感じることをやめ、自分の人生を考えることにしました。引きこもってしまった長女や悩みながら目の前の課題に向き合っている次女の二人の子ども達を育てていく中で、母のことに振り回されてきたけれど、自分はいったい何をしたいのだろう、子ども達をどう育てたいのだろうと思うようになりました。

ある日、肺炎で入院したと連絡がありました。持病の肺病が悪化したようでした。
退院後も全く熱が下がらないようでした。感染させてしまうのではという心配もありましたが数年ぶりに実家に向かい母に会いに行きました。
母は痩せ細って弱々しくなって見えました。それでもなぜか私は、母に対して苛立っていました。

(こんな弱った母に、私はまだ怒っているんだ)
そしてその苛立つ自分がとても情けなく感じて思わず涙があふれてきました。
母はいつまでも母であり、私は子どものままでいたい。
子どもの頃言えなかった思いが込み上げてくるような気がしました。

時を超えて思うことは、子どもの頃の私は自分が主張することで母が100点ではなくなっていくような気がしたのだと思います。それは二人合わせて100点だと思っていたからかもしれません。自分が結婚して子育てをして、思うようにいかないことを経験してやっと分かったことは、人それぞれの人生があっていいということです。

これからは「一度きりの人生、生きているうちに、精一杯楽しんで生きたい」と思います。いつ命が尽きてしまうのかは誰にも分かりません。その命を与えてくれた父や母に感謝して私の周りの人達も笑顔でいられるように生きていきたいと思っています。

それでは、渡海さんにバトンを渡します。

埼玉県/岩田元子 





2022年08月01日(月) No.578 (日記)

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