だから今、耳を傾ける
渡海さんが息子さんを信じて・待って・任せ、自分で困り、試行錯誤した経験を大切されて
自分にとって何を大切にしたいのか、そのために自分が『今』何をすべきなのか、渡海さんは自分探しの旅をされているなぁと感じました。
バトンを頂きました落合です。
私は自分の思春期の時の感情や気持ちをよく覚えています。
最近知ったことなのですが、人によって思春期の感情をあまり覚えていない方もいらっしゃるようなので、今回は、私が当時、感じていたことと今を書いてみたいと思います。
「ヨーコ、何しているの?早くしなさい」「もう、どうしたらいいの?」と耳が痛くなるほどに母に言われたのを覚えています。
それに対して、私は無言、文句、暴言、無視で抵抗していました。
2022年03月28日(月)
No.557
(日記)
今この瞬間を大切に
初めてバトンを受け取り、緊張と共にワクワクしている、渡海です。
岩田さんの「子供が母としての成長を助けてくれる」、本当にそうだなあと思いました。
梅の香がほんのり漂い、見上げると紅白の梅の花が咲き誇り、春の訪れを感じる今日この頃。 ちょうど一年前、中3だった息子は高校受験を終えました。
第一志望の学校に受かり、家族で大喜びして盛大にお祝いはしたものの・・・・・・。 明るい未来への希望とは裏腹に、私を覆っていた気持ちは『不安と心配』でした。
「まず、朝同じ時間に起きられるの?」
「朝早く電車に乗り、1時間かけて毎日通えるの?」
「単位取得が厳しく進級にシビアな高専。同級生の二割が留年・退学、息子は大丈夫?」
彼は、中学受験をきっかけに、小学6年から中学3年の間、学校に安定して通うことができません でした。集団生活に対する不適応と、起立性調節障害に苦しみ、朝から学校に安定して行けた日 は、数える位の中学生活でした。
そんな彼だったので、単位取得の厳しい5年制の高専に遅刻せず、毎日1時間かけて通うことができるのか? 厳しいと聞く授業の単位をとり、進級できるのか?・・・・と、とても不安で心配だったのです。
あれから、一年。
自らの足で力強く歩みだし、高校生活を満喫する彼が、今、目の前にいます。
2022年03月21日(月)
No.556
(日記)
どんな時も、私は私
どんな時も、私は私
初めてバトンを受け取ります。埼玉の岩田です。
安村さんとお姑さんを繋いだ牛肉のしぐれ煮。お二人の関係がゆっくりと時間をかけてより深くなっていく様子に心が温かくなりました。
夫が亡くなって6年。昨年7回忌を無事に済ませることができました。
当時の悲しみや苦しみは、時の流れとともに共に過ごした楽しい思い出に変わり始めました。
亡くなった当時、私は今までの夫への自分の行いが本当にそれで良かったのかどうか罪悪感でいっぱいの日々でした。誰かに話して、そんなこと誰にでもあることだよと慰めてもらうことも自分には許すことができませんでした。惨めさや情けなさ、不完全な自分を見つめることも、仏壇に手を合わせることもできず、居心地の悪い状態が何年も続きました。
夫の介護中には、子どもたちとほとんど関わってあげられず、そこにも申し訳ない気持ちが常につきまとっていました。
そんななかで、私の目を覚ましてくれたのは娘でした。
2022年03月14日(月)
No.555
(日記)
べきを手放して、得られたもの
息子さんが、「心配をかけたくなかったから。」と、自分の想いを伝えられたのは、山本さんが学び続けられ、学んだことを実践してこられたからこそだと思いました。私も、自分のペースで学び続けたいと思います。
今回から、リレーブログのお仲間に加えて頂きました。
大阪の安村です。2年間、どうぞよろしくお願い致します。
我が家の定番料理、牛肉のしぐれ煮を作る時、時々思い出す姑とのエピソードを書きたいと思います。
長男を出産する時に、産後、実家を頼らないで、身の回りのことは自分でしようと思っていました。頼らないように言われたことは一度もありませんでしたが、母も姉も里帰りはしなかったので、自分もそうするもの。そうしたいと。自宅なら子どもと二人の時は、誰にも気を遣わなくて済むから、いっそ、その方が気楽だと考えていました。
2022年03月07日(月)
No.554
(日記)
学んでいるから完璧??
群馬の山本です。
羽木さんの揺れ動く気持ちは娘さんを思えばこそ。親心そのものだと感じました。私にも
同じ様な経験があり、その揺れに、そうだよねそうだよねと、一緒に揺れてしまいました。そして、そんななかでも「この子は大丈夫」と思った羽木さんの力強さにじ〜んときました。
私もたくさん揺れ動いた経験があります。失敗も山ほど。
ハートフルを学んで4年以上経ち、自分の変化を実感していた頃です。中学生になった息子たちと喧嘩もしないし、なぜか夫婦仲もよくなってきたなと、感じていました。ただ、息子たちが親離れをし始めているという実感があり、ちょっぴり寂しさを感じていました。
ところがある日、次男が「一緒に寝てもいい?」と言ってくるようになりました。私はもちろんOKしました。(嬉しさを隠して)とはいえくっついて寝るわけではないのですが、一緒の部屋で親子川の字の復活は幸せでした。まだまだ残暑厳しい頃だったので、エアコンの節約にもなるなと、のんきに考えていました。
そんなわけで私はルンルン過ごしていた頃・・・部活では代替わりをし、問題は静かに始まっていました。3年生が抜けて2年生の数名が威張ったり、嫌がらせをするようになっていたのです。
それは少しずつエスカレートして、ほとんどの1年生に対してされていました。私はまったく気付いていませんでした。そして、同じ部活の保護者から連絡をもらって知ることになりました。
とてもショックでした。息子はどうして話してくれなかったのかと悲しくなったり、気付けなかった、気付こうともしていなかった自分を責めたり、感情が激しく波打ちました。信じられない気持ちも大きかったですし、自分だけが幸せに思っていただけだったと一瞬で真っ暗な世界に入りました。
「ずっと学んでいたのに気付けなかった」
悲しみや悔しさ、自分ののんきさ、力のなさ・・とにかく全てを責めました。
2022年02月28日(月)
No.553
(日記)
ピンチが作った信頼の土台
兵庫の羽木です。
田中さんの「これがあるから今はできない、ということを一旦傍に置いて動いてみる」。石橋をたたいても渡らない私には耳が痛く、でも胸に響く言葉でした。私もまずはバケットリストを書いてみようかなと思いました。
今回は、娘のことで心に残っているお話を書いてみたいと思います。今はもう社会に出ている娘がまだ中学1年の時のことです。
娘は明るく活発、私立中学1年生というまったく新しい環境でも、友だち作りにもさほど苦労もせず、クラスでも部活でもすぐに仲の良い友だちができて、毎日楽しく通学していました。ところが3学期になってすぐのある日、帰ってきた娘がぼろぼろ涙を流して泣きだしました。聴くと、他のグループで外された子をかわいそうに思い、自分の仲良し3人グループに仲間に入れてあげたら、その子が他の二人に娘と喋らないように言って娘を外し始めたというのです。よくある女の子のもめごとにはあまり巻き込まれる子ではなかっただけに、ショックだったのかひどい落ち込みようでした。
2022年02月21日(月)
No.552
(日記)
バケットリストを覗いてみたら
大阪の田中です。
直接的なサポートではなく、自分を整えようという小林さんの視点にハッとしました。「元気でいてくれたらそれでよし」という言葉が胸に響きます。
しばらく前、ふとしたことから、バケットリスト(生きているうちに成し遂げたいことのリスト)を書いてみようと思いたちました。
私はあれもこれも興味をもっては、石橋を叩くどころか、あることも気づかずどんどん進んでいくタイプ。
小さなことでもいいから100個ぐらいかいてみよう!と意気揚々とノートに向かいました。ポンポンとやりたい事がでてきてテンポ良く書き始めましたが、次第にスピードダウン。今の私の成し遂げたい事は30個ぐらいでした。
そのなかのひとつに、障がい若者の居場所づくりの場所をみつける、というのがありました。
居場所づくりをやりたいと思ったのは、短大を卒業してから福祉作業所で働いていた時に、同じ歳の利用者さんが、家と作業所だけの往復になってしまうことに違和感を感じたのがきっかけでした。
2022年02月14日(月)
No.551
(日記)
自分のトリセツ
千葉の小林です。
山田さんがご自分のありのままを受け止めることで、価値観の違うご主人の優しさも受け入れる準備ができたとのこと。ありのままを受け止めるのは勇気が要ることですが、私も真似したくなりました。
ラストのたすきをしっかりと受け取りました。2年間、お疲れさまでした。
今日は、「自分のトリセツ」について書きたいと思います。
11月に前回のブログを書いたあとから、次に書くときは息子の2..
2022年02月07日(月)
No.550
(日記)
優しさとは・・・
東京の山田です。
本藤さんのご自身への手紙、そして「当たり前ということは何ひとつない」という言葉に私も今の自分を大切にしていきたいと改めて思いました。
さて、私は長男(中1)、次男(小1)の6歳差兄弟を育てる母です。そんな私の最近の息抜きといえば、コミック漫画を読むことです。本来ならドラマや映画もゆっくり一人で楽しみたいのですが、今の状況においては自分の世界にどっぷり浸かることもなかなか難しい。その点、漫画は場所や時間を選ばず便利。特に今はスマホアプリの無料版でも気軽に色々なジャンルの漫画が読めるので、自分の隙間時間で楽しむことができています。
最近もTVドラマ化で話題になっている原作漫画を、ちょっとした時間で夢中になって読みました。
主人公が事件に巻き込まれるたびに独特な蘊蓄を長々と語り、その語りによって事件が解決に向かうこともあれば、行き詰まっている人の心が救われるたりもする・・といった内容です。そんな漫画の世界ですが、私の感情が大きく揺さぶられる瞬間がありました。あるストーリーの中で主人公が次のようなエピソードを語った時です。
【父親を集めてある実験をしたそうです。簡単な計算問題か何かのペーパーを渡して1時間以内に解けと。そんなのはカンタンじゃん・・とやり始めたところに、数分おきに電話をかけたり、話しかけたり主催者側がジャマをするのだそうです。父親たちはだんだんイライラしてくる。結局誰も時間内に全問を解くことはできずに父親たちは怒り出した。「こんなにジャマされたら何もできない」そこで主催者が言ったそうです。「これが」「子育てをする母親たちの毎日なのです」達成感を味わえないその苦しみ。父親たちは黙ったそうです】
このエピソードはネット上でも子育てにまつわる興味深い話として取り上げられていたようです。実際は架空の実験のようですが、「わっ、まさに私が夫に言いたかったことだ・・」とかなり共感しました。そして自分では言葉にできなかった心の奥を承認してもらったような衝撃と安堵感を感じました。
2022年01月31日(月)
No.549
(日記)
時間を越えて、追憶とこれから
東京の本藤です。
中溝さんの「私は幸せになるために生まれてきたのだから。」という言葉にジーンと来ました。まさに私も自分のあり方をみつめ、自分の人生を生きたいと思っています。
先日、私宛てに一通の手紙が届きました。馴染みのある字体、見覚えのある挿絵の封筒。あぁ!これって自分宛てに書いたんだった!と懐かしくなりながらも、複雑な思いが湧き出てきました。
この手紙を書いたのはちょうど5年前のこと、どんな心情で何を書いただろうか…。記憶を辿ってもよく思い出せません。ただ明らかなのは、当時は自分にとって辛い時期だったということ。その記憶の扉を開けるのには勇気が要り、すぐに開けることができずに1週間が過ぎてしまいました。
当時の私は乳がんの闘病中。手術が終わって安心したのもつかの間、病理検査の結果を説明する主治医は「再発リスク」や「生存率」という言葉を頻繁に使い、そして「次の治療を選択するかどうかはあなたが決めていいから」との一言。その治療をしなければどうなるのだろうか…という不安に苛まれ、目に映るものが灰色になっていくような重い感覚を味わいました。
2022年01月24日(月)
No.548
(日記)
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