迷ってぐるぐる
千葉のなかみぞです。
大下さん、合格おめでとうございます! 学んでいる親の姿、私も見せたいと思いました。
昨年10月、Y子の行きつけの眼科医に内斜視の手術をすすめられました。
Y子は遠視が強く弱視だったため、3歳から眼鏡をかけています。最近グンと背も伸びたし、眼球も大きくなって、斜視も解消されればと期待していたのに。来年は中学生でしょ、そろそろ見た目が気になる年頃だからと、内斜視の専門医に紹介状を書いてくれました。
さっそく専門医の診察を受けたところ、「視力は順調に育っているので、この先は遠視の度が下がってくるでしょう。けれど、今の度数の眼鏡をしていても目が寄ってしまうのだから、これからは目立ってしまいます。あとは、手術で目の筋肉を調整するしかありません」。そして、「手術しても元に戻ってしまったり、逆に外にズレることもあります。こればかりはやってみないとわかりません。お嬢さんはまだ遠視がきついから、手術しても眼鏡ははずせません」とのことでした。
2021年02月01日(月)
No.497
(日記)
初春の学び
広島の大下です。
桜井さんと大学生の娘さんとのやりとりを読ませてもらいながら、現在小学1年生の私の娘が大きくなったときはどうなるかな、と思いました。
子どもの成長に合わせて、お互いにとってほどよい距離をみつけていきたいと思います。
さて、受験シーズンですね。
高校受験や大学受験には遠く及ばないのですが、昨年末、私はあるライティングの試験を受けました。
50名ほどの仲間と一緒に1カ月間の講座を受けて、最後に検定を受けるものです。
そして、結果は不合格…。
2021年01月25日(月)
No.496
(日記)
娘のおこもり生活
大阪の桜井です。
楠野さんのお話の中に出てきた「新しい自分に出会うための筋肉痛!」、これからも思い出
していきます!
今回は、大学生になった娘の話をしたいと思います。
娘は3人兄弟の男の子に挟まれた真ん中の子です。マイペース過ぎるところもあるけれども、細かいことは気にしない、わりとさばさばした性格です。私が兄や弟のことで悩んでいる時も、時には一緒に愚痴ってくれたり、「とりあえず、おいしいもんでも食べとこか〜」と励ましてくれる、なかなかありがたい存在です。去年の4月から大学生になったので、これからもっと一緒に出掛けたりしたいなぁ〜ととても楽しみにしていました。
ところがコロナ禍で娘は大学に通うこともほとんどなく、代わりにレポートの提出の締め切りに追われる生活になりました。授業ごとに課題が出るので、結構な量だったようです。そんななか、大好きなユーチューブもかなりの時間見ています。さらにサークル活動も始めて、夜中にオンラインでの話し合いや友達との会合を毎日近くしていました。週に2回程度のバイト以外はほとんど自分の部屋にこもるようになりました。レポート作成やオンライン授業や会合の合間に自分の部屋でご飯を食べて、夜中にお風呂に入って、洗濯物を出す、そんな生活になりました。あっという間に昼夜が逆転してしまい、食べて座ってばかりいるせいか、体重も大幅にアップ、顔中にニキビがいっぱいになりました。
2021年01月18日(月)
No.495
(日記)
筋肉痛
東京の楠野です。
五十君さんブログを読んで心が震えました。自分ではどうにもならない現実に直面して葛藤の末にたどり着いた、ひとまわり逞しくなった自分。現実は変わらないけれど、その現実を受け止められる自分に変わることはできる。いぎみさんの体験はそのまま私自身の勇気へと変換されました。心からのエールと感謝を送ります。
新しい自分になるための葛藤って、筋肉痛みたいなものだなと常々思っています。
激しい運動をすると筋肉痛になりますよね。なんとも耐えがたい鈍痛。あれ、壊れた筋繊維を自己修復機能が働いている証拠だそうです。一度筋肉は壊れ、再生される時に筋肉が成長する。つまり、成長のためには一度壊れる必要があり、修復するのに痛みを伴うのです。
痛いというのは成長の過程で避けては通れないものであるけれど、紛れなく成長に向かっている証。
シンドイなと感じる時、筋肉痛をイメージするようにしています。この辛さ苦しさは、自己成長するためにもがいている証なんだ。痛みは徐々に引いていき、この葛藤の先に必ず新しい自分が待っているんだと。
ハートフルコミュニケーションと出会ったのは、それまでの人生で最も大きな挫折を体験し、もがいていた時でした。
それまで順風満帆、女性の地位を確立するんだ!と勇しく仕事に取り組んでいた30代後半、そのまま課長職に昇格。実績を積んでいた部署でのスライド昇格だったので仕事も部下も何の問題もなく、この部門で歴史を作るぞと意気込み、2年の間に新しいことに次々挑戦していた矢先、突然今までのキャリアとは関係ない部署への異動辞令。
今となればマネージメント力を磨く機会を与えられたわけですが…当時は異動させられたという敗北感に頭と心は占拠され、ズタボロのお粗末な状態で、なかなか気持ちを切り替えることができないでいました。
ただでさえ諸々問題を抱えていた部署は、そんな私の後ろ向きな態度が引き金となって、部下の不満が爆発。13人の組織は真っ二つに割れてしまいました。
もう12年前のことですが、そこでの2年間の経験は今でも振り返るたびに冷や汗が出ます。
2021年01月11日(月)
No.494
(日記)
被害者ポジションと解決者ポジション
あけましておめでとうございます。
五十君です。
來山さんの親としての覚悟、ずしんと我が身に響きました。
ついつい子供たちが心配になって口や手を出してしまいそうになりますが、彼らの力を信じて見守っていきたいと改めて思いました。
私は今回、被害者ポジションと解決者ポジションについて書きたいと思います。
今私は夫の転勤で12月から中国に来ているのですが、年末に1ヵ月にわたる隔離期間がようやく終わろうとした時、会社の業務上の事情により中国の他の都市に移動するよう指示がありました。3人の子供達が通う学校について半年かけて調べたり、オンラインで何度も面接やテストをしてもらい、子供達もようやく年始から登校できることを楽しみにしていた矢先でした。現地での住まいも探し、新しい生活に家族全員の気持ちが向かっていた最中の突然の変更に、頭も心も混乱し、正直心がぽきっと折れてしまいました。
また別の都市に移動となれば、子供の学校も選び直さなければならない、中3長男の受験もやり直し、さらに他都市から入ってきた人はコロナ予防で2週間学校へ通うことも許されない、家探しもゼロからやり直し、など戸惑いや不安が次々と溢れ出し、夜中に何度も目を覚ましてしまうほどでした。
2021年01月04日(月)
No.493
(日記)
親の役割
広島の來山です。
上村さんらしい素敵な涙の話。上村さんの気持ちや涙をご両親が愛情たっぷりに丸ごと受けとめてこられたからこそ、上村さんは思いっきり泣けるし、周りの人の涙もそのまま受け取れるのだと納得しました。
振り返ってみれば、9年前にハートフルコミュニケーションに出会う前の私は、子育ては、親が子どもをいい子にすることだと思っていました。だから、子どもがみんなに好かれて、色々なことにチャレンジして、何でもできるように教えてあげることが親の役割だと思っていました。
そんな私は、生まれたばかりのもうすぐ20歳の息子と対面した時、愛おしさを感じると同時になぜか「私はこの子を立派に育てられるだろうか」、というぼんやりとした不安を抱きました。現在24歳になる娘が泰然としているのに対して、息子のひと時も私から離れない後追いの時期、終わりのないイヤイヤ期にどう対応したらいいのかわからなかった私は混迷していました。その後、幼稚園に行きたくないと泣いてばかりいる彼を受け止めることができず、どうにかして変えなければと焦っていました。
2020年12月21日(月)
No.492
(日記)
涙の話
「話すこと」「書くこと」を通して〈私には大切なものは全て備わっている〉と思い出した名和さん。しっかりと自分と向き合い対話できる名和さんは弱虫なんかじゃないですね!
これまでのブログを読み返してみると私は毎回泣いています。自分でもよく泣くほうだという自覚もあります(笑)。そんなわけで今回は涙の話をしようと思います。
私は不安やイライラが高まると(ああ、そろそろ限界だな)と気づくことがあります。
心の奥にどす黒い影がもやもやと湧いてきて形を成すことなく漂う感覚です。
そうなると何もできない、どうにもならない。そんなふうに気持ちが落ち込んでいくのです。
そうした気持ちに気づいたとき、私は会社に向かう車の中で泣きます。
まずは大好きなロックバンドの曲を大音量で流しながらテンションを上げ、心に染み入る曲に変わったとき、思い切り涙を流すのです。流れる涙を拭うこともせず、ときには声を上げながら泣きます。小さな交差点。信号待ちの対向車のドライバーに私の泣き顔が見えているかもしれません。でもそんなのお構いなしに泣き続けます。
すると会社に着く頃には涙と鼻水とともに黒いもやもやも少しは小さくなっています。
不思議なものでこういう状態のとき、ひとりで泣くのが私にはストレス発散になるようなのです。それはまだ誰かに話す段階にない、つかみどころのない気持ちの揺れに、押しつぶされないようにするための無意識の自衛策なのかもしれません。
だから私は心が悲鳴を上げたら車に乗り込みボリュームを上げることにしています(笑)。
そんなふうに積極的に泣くこともある私ですが、自分でも思いがけず流した涙もあります。それは母が亡くなったときのことでした。
2020年12月14日(月)
No.491
(日記)
話すこと、書くこと
兵庫県の名和です。
自分を信じて自分に「GO」を出す頼もしい息子さん。息子さんの「好き」を見守るやまださんの視線があったればこそ!と思いました。
10月初頭のことです。
「胸部レントゲン撮影の結果のことでドクターから直接お話したいことがあるので来院ください」。健診を受けた病院から一本の電話がありました。不安を覚えた私は、電話口の女性に「何か良くないことですかねぇ? 緊急入院とか無いですよねぇ?」と遠回しに探りを入れました。「いえいえ、そんな。とにかくいらしてくださいね」と曖昧に応える女性の口調に更に不安が募りました。
胸騒ぎが止まらなくなった私は、ネット検索に首っ引きになっていました。様々な情報が入って来て、私の中にどんどん不安が募っていきました。堪らなくなって妹に話すと「健診で引っかかっても、7割ぐらいは問題ないらしいよ。毎年、健診を受けてるんだから、もし最悪でも超早期ですぐ治るわよ」と言ってもらえて、少し元気をチャージできました。
2020年12月07日(月)
No.490
(日記)
子どもの「好き」を見守る
東京のやまだ です。
本藤さんの1年近くの闘病生活、そしてご長男の葛藤や決断、それぞれの想いに読んでいて胸が熱くなりました。今後ともお身体を大事に過ごしていただきたいと思います。
さて、我が家の長男(小6)は今、サッカーに夢中です。ポジションはGK(ゴールキーパー)。逆にGKになりたくてサッカーを始めたという少々変わり種でもあります。
学校の休み時間に何度かGKを任され、スーパーセーブを決めた(本人曰くですが・・)そんな些細なことがきっかけとなり、自分はGKに向いていると思い込み始めました。そして「将来は、日本を代表するGKになる!」と熱く夢を語るようにもなりました。
2020年11月30日(月)
No.489
(日記)
心が軽くなった秋
東京の本藤です。
お嬢さんたちの成長を噛みしめていらっしゃる中溝さんのお話に、ほっこりと温かい気持ちになりました。子どもの小さかった頃の思い出って本当に感慨深いですよね。
さて、いつの間にか紅葉の彩りが美しい季節になりました。我が家はここ数年、秋になると予期せぬことが起こりがちで緊張して過ごしてきたのですが、つい先日、今年の秋は大丈夫かもと安堵の感覚を味わいました。それは10日ほど前、「がんノート」(がん患者支援団体)主催のオンライン対談イベントに親子で出演させていただいた時のこと。親元を離れてシェアハウス暮らしを始めた長男をスクリーン越しに見て、もう大丈夫なんだな、そう思ったからです。
思い起こせば、ちょうど4年半前、私は乳がんの告知を受け、約1年近くの闘病を経験しました。
2020年11月23日(月)
No.488
(日記)
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