私の頭の中で起きていること
埼玉の落合です。
渡海さんがお子さんを心配しつつ信じ続けることが、相手に伝わりまた渡海さんに戻ってくる…。深い、深い渡海さんの愛情を感じました。
私は数か月間限定で毎週1回、市民講座に出席しています。
その会場は駅前の大きなビルで、そこはかつて私が小学校2年生まで通っていた学校の跡地です。
自宅から電車を使えばすぐに行くことができる場所ですが、実家にスクーターを停めて子どもの頃に使ってい..
2023年10月16日(月)
No.641
(日記)
未来の希望
兵庫の渡海です。
岩田さんのお母様との交流から、存在そのものが喜びであると思い出させていただきました。そして、自分は何を大切にしたいのかに向き合うことで、より良い関係性や生活に結びつくんだと、改めて感じました。
今回私は、自分以外の誰かが、こんなにも幸せな気持ちをくれるんだ。愛する人の成長は未来の希望を見ることなんだ、と感じた一日を綴ろうと思います。
先日、小学生の娘の運動会がありました。
感覚の過敏があり、環境の変化に順応することが困難な娘。当日、緊張で固まって動けなくなったり、パニックになることも十分考えられました。学校からも、当日の様子を見て無理そうだったら出場は控えますと、連絡を貰っていました。
そんな彼女なので、運動会当日の競技の瞬間まで、私たち親は、彼女の運動会でのリレーで走ったりダンスをする姿を、見られるのか見られないのか分からない状態でした。
運動会当日の運動場は、彼女にとって全く別の場所に感じられます。たくさんの観客の応援の声や、視線、浮き立つような張り詰めたような空気感。聴覚・視覚などの過敏を持つ彼女にはこの環境を受け入れ、自分の緊張感を乗り越えて、自分の気持ちに折り合いをつけること=競技に参加することは、とても大きなことでした。
2023年10月09日(月)
No.640
(日記)
繋がりを、再び
埼玉の岩田です。
安村さんのお弁当作りでのご主人とのやりとり、微笑ましかったです。終わったと思ったらまた始まるという複雑な気持ちの葛藤を乗り越えて、新たな気持ちでのお弁当作りは楽しめそうですね。
今回は母への不満を捨て去って、母との関係を一歩進められた話を綴りたいと思います。
幼少期から母は「良い子」でいてほしいとよく口にしていました。母の言うことを聞くことが良いことであり、母の意向と違うことをするたびに「悪い子」として叱られました。
母が普段の生活のなかで「あれはダメ」「これはダメ」といった言葉で表現するたびに、(あぁこういうのがダメなのね)とダメな基準ができ、いつの間にか、私の基準にもなりました。そして母の意向に背くたびに、罪悪感をもつようになりました。
思春期には、自分がやりたいと思ったことがあっても(母に言っても、どうせダメというに違いない)と、言う前から諦めることを選んできました。
そして“母は母自身のために私を産んだんだ“と思うようになりました。
2023年10月02日(月)
No.639
(日記)
卒業延期
大阪の安村です。
平沢さんのミラクルな体験! そんなことが起こせるのかとびっくりするとともに、少しお役に立てたような気もして嬉しかったです。
今日は、お弁当作りについて書きたいと思います。
息子3人、お弁当作りは結構続きました。だから、いちばん下の子が、高校卒業と同時にお弁当作りを卒業できるのをとても楽しみにしていたのです。
その頃、夫は職場の人と一緒に外食をしていたし、お弁当作りは、あと数ヶ月の辛抱と・・・。
ところが、夫が同僚と食べに行くところは、量もカロリーも多いから健康のことも考えてお弁当にするからよろしくと、いきなりの宣言。
「えー!!」と、了承とは言い難い反応をする私に、夫はしばし無言。
夫自身、それまでに私が卒業すると言うのを聞いていて、「そりゃーそうだねー」って理解を示すように言っていたので何も言えなかったのかもしれません。
2023年09月25日(月)
No.638
(日記)
やってみた!〜私のミラクル体験
東京世田谷区の平沢です。
村井さんのブログを読んで、中3次男に対し、まさに「先回りスイッチ」が常時オンになっていることに気づきました! スイッチをオフにして「見守りスイッチ」をオンにしようと心に決めた月曜日です。
さて、毎回、「泣き笑い日記」に触発されまくってますが、7月20日の安村さんのブログ 「自分は自分」は、特に興味深く拝読しました。内容は、「出来の悪い自分をやっつける」。
実は、私も物心ついた頃から、「自分は出来が悪い」という想いが住み着いていて、「そうそう、同じ!」と、いたく共感したからです。
安村さんの日記で印象に残ったのが、「出来が悪いと思っている自分の存在に気づいて、その想いをやっつける」という言葉です。そんなふうにできたらいいなぁとつらつら考えて過ごしていたある日のこと、まさに、安村さんのブログに書いてあったやり方を応用してみて、できた! というミラクルな体験をしたので、今回はそれについて書こうと思います。
どんな体験だったかというと、「不安でパニックに陥りそうになったときに、踏みとどまって気持ちをコントロールできた」という話です。
2023年09月18日(月)
No.637
(日記)
放置と見守りの違い
東京の村井です。
石垣さんの「自分のことを自分で話す」の大切さ、私も病院での医者とのやり取りであったな、と思い出していました。
高校入学が決まってから、急に勉強のエンジンがかかった高1の長男に、突然、「お母さんは、勉強しろって言わないよね」と言われました。
「そうだね、勉強しろって言ったらやるの?」「いや、やらないね・・・」
そのあと「何でそんなこと思ったの?」と聞いてみましたが、いつものお決まりの「別に」の一言で終話。私は「いま、頑張っているんだね」と、一言添えました。
子どもが不登校になってから3年余り、息子の変化を見て、子どもを見守るということを意識してきた成果かなと思い、嬉しくなりました。
不登校になって、あれこれとなす術がなくなったとき、「先に動く」から「支援」に私の姿勢を更新をしていく必要を感じました。日々の積み重ねで、言葉にはうまく表現できませんが、子どもが私を信頼して安心した状態になってきたことも、「支援」の後押しをしていました。
成果は、息子が自ら動き出すようになったことです。
2023年09月11日(月)
No.636
(日記)
答えるのは誰?
石川県の石垣です。
鈴木さんの日記を読んで、子どもの頃には必要だったやり方や信念。大人になった今は手放しても大丈夫なのに、まだギュッと掌に握りしめているものが私の中にあるような気がしました。「子ども」という立場があることを忘れがちな私は、親との関係を振り返ってみたくなりました。
さて、先日わが家に子ども英語教室の営業マンが来ました。その時のやり取りの中で感じたことを今日は綴ります。それは、昔の私も当たり前にやっていたことなのに、子育てについて学んだ今の私にはモヤっとすることでした。
2023年09月04日(月)
No.635
(日記)
親の価値観からの私の自立
千葉の鈴木です。
相手のありのままの姿を受け入れることが難しいと感じるとき、「受け止める」というステップを挟むことで、相手の気持ちを想う時間が生まれるという瀧澤さんの日記に、一呼吸おいてまずは相手を知ろう、そんな気持ちになりました。
さて、夏休みを経て息子は10歳になりました。実家の両親にも一緒にお祝いしてもらい、私は息子の成長とともに、孫の成長を喜んでくれる両親の姿を嬉しく眺めていました。
今回は、そんな息子と父とのやりとりに教えられた、親の価値観からの自立について書きたいと思います。
私は子どもの頃から、両親にとって私が何よりも大切であること、愛されていることを肌で感じていました。それは、私を失ったら彼らの心が死んでしまうだろうという恐怖にも似た感情でした。
それと同時に、その両親の愛情は痛いほどわかるのに、なぜ私のやりたいことを思う存分やらせてもらえないのか、私の興味関心を良いものとして受け止めてもらえないのか、という強いフラストレーションも感じていました。
2023年08月28日(月)
No.634
(日記)
受け止めてみたら
タイの瀧澤です。
離れて暮らすご両親との久しぶりの再会をきっかけにチャウさんがお母様への想いと向き合い、過去の想いを手放し新たな未来へ進んでいく過程に、お互いを想う気持ちが溢れているように感じ、温かい気持ちになりました。私も離れて暮らす両親に会いたくなりました。
『子どもの心のコーチング』(菅原裕子 著)の巻末に、「ひび割れ壺」という物語が載っています。私はこの物語が大好きです。何度も読んでいるのですが、読むたびに受け取るメッセージが変わるのです。
養成講座を受講し始めたころ、この物語にでてくる水汲み人足とひび割れ壺のやりとりのなかから、私の親としての役割は子どものありのままの姿を受入れ、その子らしさを伸ばしていくことかもしれないと感じたことがありました。そして、その役割をぜひ果たしたいと思いました。
よし、娘のありのままの姿を受け入れるぞ、と意気込んでみたものの、受け入れることの難しさに直面しました。
例えば、娘が「宿題やりたくない」と言った時、私の頭に浮かぶのは「やりたいとかやりたくないとかの問題ではなく、宿題はやるものでしょう」という反論。娘のありのままの意見を受け入れたいけれど、「そうだね、やりたくないよね」なんて言えない、そう言ってしまったら、宿題をやらなくていいと認めたことになってしまう、娘は宿題をやらなくなってしまうのではと思っていました。
「犬飼いたい!」と言われたら、「でも、またいつどこの国に引っ越すかわからないから我が家では買えない」と答えていました。現実的に飼えないのに、「そうだね、飼いたいね」と期待を持たせることは言えないと思っていました。
2023年08月21日(月)
No.633
(日記)
頑固
★★★ 今週金曜日の夜、開催! 第15回オンライン・ホッとカフェのご案内 ★★★
【日時】2023年8月18日(金)20時〜22時
【参加費】無料
【方法】オンライン(ZOOMを使用します)
15回目で初めての平日夜の開催です。
日記を読んだ後の「もうちょっと聞きたい」「もうちょっと話したい」をオンラインで気軽に叶えませんか?
テーマは、「『やらされる』から『自分からやる』に変わるHappyなしつけ」。取り上げる日記は、
「ありがとうの言葉」です。
▶お申し込みはこちらのフォームから
▶お問い合わせ: teamrelayblog@gmail.com
▶前回までの様子はこちらでお読みいただけます。
★★★
私も憶測で、人に対してああじゃないか、こうじゃないかとグルグル思考に陥ることがよくあります。
落合さんの「太陽と北風」の比喩はとても分かりやすく、自分から周りに明るさやポジティブな気持ちを発振する効果や大切さがよく伝わってきました。
カナダのチャウです。
この7月、8年ぶりに家族全員で日本へ帰国しました。実家に居候させてもらい、孫たちの成長を両親に見せることができ感慨もひとしおでした。
同時に久しぶりに会う両親が高齢になってきたことや、言葉の奥底にある心配や思いを全身で感じ、私の両親への想いを改めて見つめ直す機会になりました。
私は子どもの頃から、母は強くて賢くて、意見を言えばいつも正しいと思っていました。
教員の仕事をしながら家事もてきぱきこなす母に、台所で夕飯づくりのお手伝いをしながら学校の友だち関係の悩みなどをよく聞いてもらったことを覚えています。
子どもの頃に抱いていた母への尊敬の念は、思春期になると母にもっと認めてもらいたい、でも母のようにはいろんなことを上手くはできない、私には何か足りない、というモヤモヤした思いに変わっていきました。
母は成績についてうるさく言いませんでしたが、子どもを褒めるタイプでもありませんでした。おそらく平均的な偏差値レベルの自分では母を喜ばせることはできないと、スポーツなど自分の得意なことや従順であることで母に認めてもらいたいと思っていたように思います。
いずれにしてもこの頃から「私は母のようにはうまくはできない」という自己否定を深め、母に認めてもらいたいという想いが膨らんでいきました。
しかし、母の意見に従っていれば間違いないから楽だという甘えた思いも社会人になってからもずっと心のうちにありました。
頼りになる母の存在と自信のなさがいつも同居していて、超えられない母の存在が大きすぎるゆえに母から離れたい、私は自分の力でできるのだと証明したいというような思いになっていきました。
2023年08月14日(月)
No.632
(日記)
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