右往左往のあとに見えてきたもの
千葉の小林です。
元保育士さんだった山田さんが、理想と現実に戸惑われた経験を乗り越えて、「我が子は我が子」とすべてを受け入れて愛してきたこと。私も助産師として子育ての理想と現実に悩んだ経験があるので、その気持ちが手に取るようにわかりました。私も「我が子は我が子」と胸を張っていこうと励まされました。
さて今日は、自分の考え方のパターンを知っておくことで、ネガティブな感情もポジティブになる経験をしたので、ここに書こうと思います。
普段、私は相手の信頼を得ようとすることが物事に取り組む原動力になっています。
例えば、私の職業は助産師。産婦さんが私を信頼してくれることで相手が大船に乗った気持ちで出産に臨むことができたり、私を信頼し相談してくれることで子育ての悩みが軽くなってくれたら、それが私にとって一番嬉しいことです。また、チームで仕事をするときは、リーダーからの信頼を得たいので、指示を忠実に守りよく働くと自負しています。ただ、慣れないことに取り組むときや、準備がきちんとできていないと、相手の信頼を失ってしまうのではないか・・と不安に苛まれてしまいます。
今回、私の考え方のパターンを意識した出来事がありました。息子がお世話になった地元の中学校から「命の現場にいる立場から、命の大切さを教えてほしい」と依頼がきたのです。
2021年07月12日(月)
No.520
(日記)
我が子は我が子
東京のやまだです。
本藤さんのご次男のスマホとゲームにまつわるお話に何度も首を大きく縦に振りながら共感しました。
そして父親の接し方がキーとなる・・まさに我が家にも同じことが言えます。とても参考になりました
。
さて我が家の6歳差兄弟は中1(長男)と小1(次男)です。6月、7月はそれぞれの誕生月になります
。6月生まれの長男は先日13歳になりました。
息子たちの誕生日が近づくとそれまでの成長を振り返りながらアルバムを見返す時間が増えてきます。初めての育児に翻弄されていた日々・・。授乳、おむつ替え、沐浴、何もかもが戸惑いだらけ。親になった喜び以上に不安の方が大きく毎日が必死だったことを思い出します。
元々保育士でもあった私は人一倍、我が子にはより健全に育ってほしいという理想や期待も大きかったのかもしれません。親子の愛着形成、子どもの情緒、遊びや発達・・それまでの知識や経験を活かし緩やかに楽しく子育てしたい! そんなふうにも思っていました。
ところが、理想と現実は違い・・我が子の子育ては挫折の連続・・思い通りにはいかないことの数々を思い知りました。特に長男は歩き始めが遅かったことで、かなりヤキモキしました。
2021年07月05日(月)
No.519
(日記)
次男のゲームと父親の変化
東京の本藤です。
中溝さんの「相手が最善を尽くそうとしていることを認め、寄り添うこと。」という言葉にジーンと来ました。包み込むような温かい関わりが世の中にあふれるといいな、私の中のマザーテレサも育てていきたいな、と思います。
さて、今日は次男のスマホやゲームにまつわる話をしたいと思います。
次男が自分のスマホを持ち始めたのは中学1年の秋頃。それまでは「俺はガラケでいい」と話していたのですが、クラスのほぼ全員がスマホを持っていたことで「俺も欲しい」と言い出しました。
でもOKの一つ返事で買えないのがスマホです。次男は、どちらかというとゲームや好きなものに過集中になりがちで、周りが見えなくなる傾向があり、SNSリテラシーやゲームの使い方など心配なことが山ほどありました。そこで、スマホのルールを決めようと親子三人で話し合いました。
「家でスマホを使うのは1日2時間まで。夜10時以降は使わない。夜はリビングで充電する」
次男がわかった、守れる!とうなずきます。その横で、父親は新たにルールを出してきます。
「帰宅して勉強を〇時間やったらスマホを使っていい。成績が下がったら使える時間を減らす。約束を破ったら取り上げる」と、いつの間にか条件付き約束が追加されていきました。
大丈夫だろうかと心配する母親にはお構いなし、父子で調子よく決めていき、次男は笑顔でスマホを手にしました。しかし、2週間も経たずしてルールの危機がやってきたのです。
2021年06月28日(月)
No.518
(日記)
どんなときもマザー・テレサ
千葉のなかみぞです。
このコロナ禍だからこそ、「心の拠り所」となる物や人の存在がより鮮明になったような気がします。「大きな愛で包んであげたい〜♪」とメガビッグな大下さんが腕をいっぱいに広げている姿を想像しちゃいました。
先日、Y子の眼科健診が終わり外に出たところ、駐輪場で親子を見かけました。
「泣いて大きな声を出さないでって言ったでしょ!」と怒る母親と泣き止まない3歳くらいの男の子。この場面だけを切り取ると、とても厳しい母親に見えますが、週末に朝早くから幼児を連れ出すのは骨の折れることです。お母さん、頑張ってるな、と応援したい気持ちと、その剣幕たるや凄まじく、幼い男の子に助け船を出したい気持ちにもなりました。
けれど、どう話かけて良いやら。自転車を出すまでの数秒で答えは出ず、「お母さん、朝早くからお疲れさま。あまり頑張りすぎないで。」と心の中でつぶやくことしかできませんでした。
2021年06月21日(月)
No.517
(日記)
心の拠り所
広島の大下です。
桜井さんの新たなチャレンジ、楽しみですね!応援しています。
さて、先日ある小冊子を読んでいると、コラムにこんなことが書いてありました。
――――――――――――――――――――――
小さな子が、自分の大切にしている物を肌身離さず持ち歩いていることがあります。
それは、ぬいぐるみだったり、毛布だったり。
たとえそれがすり切れてボロボロになっても、その子は大事そうに、ずっと持っています。
なぜなら、子どもが大切に持ち歩いている物は【子どもの心の拠り所】だから。
(参考:フリースクール主催者の古山明男さんのコラムより)
――――――――――――――――――――――
ありますね〜、そんなこと!
まだ経験の少ない子どもにとっては、周りで日々起こっている出来事や大人の行動などに、圧倒されてしまうこともあるでしょう。けれども、いつも変わらず自分のそばにいてくれる何かを「心の拠り所」にすることで、子どもは安心できるのでしょうね。
そういえばわが家の7歳娘も、寝るときにはいつも、ひつじの抱き枕と一緒です。ひつじがベッドにいないときは、「ひつじちゃーん」と声をかけながら探し回り、見つかると一安心。嬉しそうに右手でひつじを抱っこして、左手で私と手をつなぐと、安心しきった顔ですぐに寝息を立てて眠りにつきます。学校で一日がんばった疲れや緊張が、ほぐれるのかもしれません。
私自身も、思い当たることがあります。
2021年06月14日(月)
No.516
(日記)
人生の第2章のはじまり!?
大阪の桜井です。
秋岡さんと息子さんの中学入試にまつわる数日間のお話、ドキドキしながら読みました。
大ピンチだと感じた時や嬉しさ最高潮の時など、子どもと同化した時の思い出がよみがえりました。同化しつつも息子さんの意思をしっかりと尊重されていて、お二人の絆がより深まっていることを感じました。
さて我が家は、大学4年生の長男が、今まで遠いながらも、自宅から大学に通っていたのですが、4月から念願の一人暮らしを始めました。高校2年生の次男も寮生活をおくっているので、うちに残ったのは、残業が比較的多い夫、リモート大学生2年目に入った長女、現在のパート6年目に入ってやや余裕ありの私、の3人になりました。
自然と私の家事をする時間も減ってきました。また、コロナ禍であまり出掛けられないこともあって、自分のことを考える時間が増えました。
2021年06月07日(月)
No.515
(日記)
子どもと同化する
神奈川の秋岡です。
山本さんの記事を読んで、私も実はどこかで自分の「正しさ」にこだわっているところがあるのかもしれないとドキッとし、少し考えさせられました。
そんなドキドキを持ちつつ、今回は一生忘れられない出来事となった、約4か月前にあった息子の中学受験本番について書いてみます。
東京・神奈川では2月1日から中学受験の試験が一斉に始まります。前日の夜、当の息子はぐっすり寝ていた一方、落ち着いていると自分では思っていた私は全く寝られず、夜中に5回ほど目を覚まし、朝も鳴る前の目覚まし時計のボタンを押す始末。翌日も翌々日も、深い眠りとは程遠い夜をそれから3日過ごしました。
2021年05月31日(月)
No.514
(日記)
私の選択肢
群馬県の山本です。
羽木さんのお話、耳が痛くなりました。私は親と「対話」はもちろん、会話もあまりしてないな…と反省しつつ、まだもう少し先になりそうです。その時まで「対話」のことを心にとめて温めておきたいと思います。
さて、私は昔のことを思い出していました。
長男が小さい頃、子育てのやり方に迷いながらも、正しい答えは一つしかないと思っていた頃のことです。私は厳しい母親でした。
ずっと後悔していることがあります。ハートフルに出会う前のことです。
今から13年前、息子が小学校に入学した頃のことです。息子は身体も大きいほうでしたし、しっかりものでしたから、あまり心配もしていませんでした。
それが入学して2週間ほどたった頃、急に「今日は休む…」と言いました。おなかが痛いとも言ったかもしれません。
でも、明らかに仮病だと確信した私は瞬間的に、学校へ行かせることを考えました。行ってさえしまえば、大丈夫と思っていました。それに、仮病で休ませることは、その時の私の選択肢にはありませんでした。
2021年05月24日(月)
No.513
(日記)
親と対話すること
兵庫の羽木です。
田中さんのお話を読んで、母が認知症になった頃のことを思い出しました。
「今」を生きる親。私も母への寄り添い方を考えなおしてみたくなりました。
今回は田中さんに続いて、私も父のことについて書いてみたいと思います。
父は93歳。厳格でまじめな、家事など一切しない一昔前のお父さん。仕事でいつも忙しそうで、私は子どもの頃から父の体が心配で、父を労い、敬い、大切に思う気持ちがありました。それは、今でも残っている感覚です。
5年前、母が脳梗塞で倒れました。母は半身不随となり、認知症が急速に進んで施設に入りました。父の生活も、隣に住む妹一家の生活も一変しました。父は3か月で10キロ痩せ、昼夜逆転。母の訪問も目的ではありましたが、私は父のことが気がかりで、毎月新幹線に乗って帰省するようになりました。その頃から急に父の老いを感じるようになりました。それでも、まだ、この頃は自分のことは自分でできていたのです。歩く、食べる、トイレに行く、お風呂に入るなどの、超基本的な自分でやりたい自分のこと。
ところが、昨年末、転倒したのがきっかけで、父の介護度が急に上がりました。人に頼らず、何でも自分でやりたい父にとって受け入れられない事態になりました。
2021年05月17日(月)
No.512
(日記)
父のこと
大阪の田中です。
我が家の長男は現在中三。部屋はぐちゃぐちゃ、学校からのプリント類を見せたためしなし。進学を前に、「困った母ちゃん」の出現率の多い自分にハッとさせられました。
お弁当をもって颯爽と出発する息子さん、それをドンと構えて見守る小林さんの様子を想像し、信じる力をもらいました。
さて今回は、私の父のことについて書きたいと思います。
父が認知症かもしれないと告知されたのは、四年前のことでした。
父は糖尿病で、血糖値が安定せず入院していました。そこで異変を感じた主治医から告げられたのです。
一人暮らしの父は、自分で入院準備をし、手続きをし、子供らに迷惑をかけまいと、入院していることを伝えるのをためらっていました。ここまでできるのに認知症???ショックというよりも、頭の中にハテナがいっぱい浮かび、信じられないという気持ちでした。
2021年05月10日(月)
No.511
(日記)
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