母としての気付き、子としての気付き
★★★ 第10回 オンライン・ホッとカフェのご案内 ★★★
【日時】2022年5月7日(土)10〜12時
【参加費】無料
【方法】オンライン(ZOOMを使用します)
【お申し込み】
https://ssl.form-mailer.jp/fms/0760cb20739594
ある日の日記を題材に、菅原裕子や執筆コーチと語り合うこのカフェ。
今回のテーマは「思春期以降の親の役割」。取り上げる日記は 「愛することの正体、発見?!」です。
親元を離れ大学生活を送る長男への「不安」や「心配」を乗り越える過程を追いました。
読んで感じたことや知りたくなったことをざっくばらんに語り合って、視野を広げにいらっしゃいませんか?
※ 前回までの様子はこちらでお読みいただけます。
★★★
大阪の田中です。
寄り添い聴ききる準備ができている、なんて力強い言葉でしょう。小林さんと娘さんのこれからに、心からエールを送りたいです。
先日、娘とコーヒーショップへ行ったときのことです。カウンターで注文したコーヒーができあがってくるのを待つ間に、娘に「どこでもいいから席をとっておいて」とお願いしました。
コーヒーができあがって娘が居るところを探すと、隅っこの狭い二人席に座っています。ここのコーヒーショップは池に面して大きなガラス窓のあるところで、景色のよい窓側の席が人気です。その日は時間帯のせいか店内は空いていて、いつも人気の窓側の席もあいていました。
快晴で景色も抜群に良い日です。「せっかくだからあっちの席に移らない?」と言いかけて、その言葉をぐっと飲み込みました。私が子どものころ、何度か同じ状況になったことを思い出したからです。
2022年04月18日(月)
No.560
(日記)
「ママなんて、だいっきらい」の行く先
千葉の小林です。
チャウさんが海外での子育てに奮闘され、お子さんをとおしてご自分の気持ちにも向き合われたこと、私も勇気をもらいました。遠く離れた場所からの投稿、嬉しかったです。
チャウさんからの初タスキを受け取りました。
今日は、4月から高校3年生になった娘のことを書こうと思います。
娘は先月、3度目の宝塚受験に挑みました。結果は一次試験で不合格でした。バレエやジャズダンス、歌などの実技をみてもらうのは二次試験。一次はたった15秒の面接だけです。
2022年04月11日(月)
No.559
(日記)
凹凸のある私を受け入れられたのは・・・
思春期の落合さんとお母様がそれぞれの現実に向き合いながら過ごされていた時期を経て、感謝できる今を迎えられていることに、温かい気持ちになりました。
初めまして。落合さんからバトンを受け取ったカナダのチャウです。
これまでの海外子育てを通じての私の変化について書いてみたいと思います。
私がカナダに移住したのはちょうど14年前の今頃、中国系カナダ人の夫と2歳と0歳だった息子たちを連れて、夫の故郷カナダに家族4人で移住しました。半ば夢見心地でOKを出したのは若気の至りでもありました。その後どんな苦労が待っていたか、その時には知る由もありませんでした。
2022年04月04日(月)
No.558
(日記)
だから今、耳を傾ける
渡海さんが息子さんを信じて・待って・任せ、自分で困り、試行錯誤した経験を大切されて
自分にとって何を大切にしたいのか、そのために自分が『今』何をすべきなのか、渡海さんは自分探しの旅をされているなぁと感じました。
バトンを頂きました落合です。
私は自分の思春期の時の感情や気持ちをよく覚えています。
最近知ったことなのですが、人によって思春期の感情をあまり覚えていない方もいらっしゃるようなので、今回は、私が当時、感じていたことと今を書いてみたいと思います。
「ヨーコ、何しているの?早くしなさい」「もう、どうしたらいいの?」と耳が痛くなるほどに母に言われたのを覚えています。
それに対して、私は無言、文句、暴言、無視で抵抗していました。
2022年03月28日(月)
No.557
(日記)
今この瞬間を大切に
初めてバトンを受け取り、緊張と共にワクワクしている、渡海です。
岩田さんの「子供が母としての成長を助けてくれる」、本当にそうだなあと思いました。
梅の香がほんのり漂い、見上げると紅白の梅の花が咲き誇り、春の訪れを感じる今日この頃。 ちょうど一年前、中3だった息子は高校受験を終えました。
第一志望の学校に受かり、家族で大喜びして盛大にお祝いはしたものの・・・・・・。 明るい未来への希望とは裏腹に、私を覆っていた気持ちは『不安と心配』でした。
「まず、朝同じ時間に起きられるの?」
「朝早く電車に乗り、1時間かけて毎日通えるの?」
「単位取得が厳しく進級にシビアな高専。同級生の二割が留年・退学、息子は大丈夫?」
彼は、中学受験をきっかけに、小学6年から中学3年の間、学校に安定して通うことができません でした。集団生活に対する不適応と、起立性調節障害に苦しみ、朝から学校に安定して行けた日 は、数える位の中学生活でした。
そんな彼だったので、単位取得の厳しい5年制の高専に遅刻せず、毎日1時間かけて通うことができるのか? 厳しいと聞く授業の単位をとり、進級できるのか?・・・・と、とても不安で心配だったのです。
あれから、一年。
自らの足で力強く歩みだし、高校生活を満喫する彼が、今、目の前にいます。
2022年03月21日(月)
No.556
(日記)
どんな時も、私は私
どんな時も、私は私
初めてバトンを受け取ります。埼玉の岩田です。
安村さんとお姑さんを繋いだ牛肉のしぐれ煮。お二人の関係がゆっくりと時間をかけてより深くなっていく様子に心が温かくなりました。
夫が亡くなって6年。昨年7回忌を無事に済ませることができました。
当時の悲しみや苦しみは、時の流れとともに共に過ごした楽しい思い出に変わり始めました。
亡くなった当時、私は今までの夫への自分の行いが本当にそれで良かったのかどうか罪悪感でいっぱいの日々でした。誰かに話して、そんなこと誰にでもあることだよと慰めてもらうことも自分には許すことができませんでした。惨めさや情けなさ、不完全な自分を見つめることも、仏壇に手を合わせることもできず、居心地の悪い状態が何年も続きました。
夫の介護中には、子どもたちとほとんど関わってあげられず、そこにも申し訳ない気持ちが常につきまとっていました。
そんななかで、私の目を覚ましてくれたのは娘でした。
2022年03月14日(月)
No.555
(日記)
べきを手放して、得られたもの
息子さんが、「心配をかけたくなかったから。」と、自分の想いを伝えられたのは、山本さんが学び続けられ、学んだことを実践してこられたからこそだと思いました。私も、自分のペースで学び続けたいと思います。
今回から、リレーブログのお仲間に加えて頂きました。
大阪の安村です。2年間、どうぞよろしくお願い致します。
我が家の定番料理、牛肉のしぐれ煮を作る時、時々思い出す姑とのエピソードを書きたいと思います。
長男を出産する時に、産後、実家を頼らないで、身の回りのことは自分でしようと思っていました。頼らないように言われたことは一度もありませんでしたが、母も姉も里帰りはしなかったので、自分もそうするもの。そうしたいと。自宅なら子どもと二人の時は、誰にも気を遣わなくて済むから、いっそ、その方が気楽だと考えていました。
2022年03月07日(月)
No.554
(日記)
学んでいるから完璧??
群馬の山本です。
羽木さんの揺れ動く気持ちは娘さんを思えばこそ。親心そのものだと感じました。私にも
同じ様な経験があり、その揺れに、そうだよねそうだよねと、一緒に揺れてしまいました。そして、そんななかでも「この子は大丈夫」と思った羽木さんの力強さにじ〜んときました。
私もたくさん揺れ動いた経験があります。失敗も山ほど。
ハートフルを学んで4年以上経ち、自分の変化を実感していた頃です。中学生になった息子たちと喧嘩もしないし、なぜか夫婦仲もよくなってきたなと、感じていました。ただ、息子たちが親離れをし始めているという実感があり、ちょっぴり寂しさを感じていました。
ところがある日、次男が「一緒に寝てもいい?」と言ってくるようになりました。私はもちろんOKしました。(嬉しさを隠して)とはいえくっついて寝るわけではないのですが、一緒の部屋で親子川の字の復活は幸せでした。まだまだ残暑厳しい頃だったので、エアコンの節約にもなるなと、のんきに考えていました。
そんなわけで私はルンルン過ごしていた頃・・・部活では代替わりをし、問題は静かに始まっていました。3年生が抜けて2年生の数名が威張ったり、嫌がらせをするようになっていたのです。
それは少しずつエスカレートして、ほとんどの1年生に対してされていました。私はまったく気付いていませんでした。そして、同じ部活の保護者から連絡をもらって知ることになりました。
とてもショックでした。息子はどうして話してくれなかったのかと悲しくなったり、気付けなかった、気付こうともしていなかった自分を責めたり、感情が激しく波打ちました。信じられない気持ちも大きかったですし、自分だけが幸せに思っていただけだったと一瞬で真っ暗な世界に入りました。
「ずっと学んでいたのに気付けなかった」
悲しみや悔しさ、自分ののんきさ、力のなさ・・とにかく全てを責めました。
2022年02月28日(月)
No.553
(日記)
ピンチが作った信頼の土台
兵庫の羽木です。
田中さんの「これがあるから今はできない、ということを一旦傍に置いて動いてみる」。石橋をたたいても渡らない私には耳が痛く、でも胸に響く言葉でした。私もまずはバケットリストを書いてみようかなと思いました。
今回は、娘のことで心に残っているお話を書いてみたいと思います。今はもう社会に出ている娘がまだ中学1年の時のことです。
娘は明るく活発、私立中学1年生というまったく新しい環境でも、友だち作りにもさほど苦労もせず、クラスでも部活でもすぐに仲の良い友だちができて、毎日楽しく通学していました。ところが3学期になってすぐのある日、帰ってきた娘がぼろぼろ涙を流して泣きだしました。聴くと、他のグループで外された子をかわいそうに思い、自分の仲良し3人グループに仲間に入れてあげたら、その子が他の二人に娘と喋らないように言って娘を外し始めたというのです。よくある女の子のもめごとにはあまり巻き込まれる子ではなかっただけに、ショックだったのかひどい落ち込みようでした。
2022年02月21日(月)
No.552
(日記)
バケットリストを覗いてみたら
大阪の田中です。
直接的なサポートではなく、自分を整えようという小林さんの視点にハッとしました。「元気でいてくれたらそれでよし」という言葉が胸に響きます。
しばらく前、ふとしたことから、バケットリスト(生きているうちに成し遂げたいことのリスト)を書いてみようと思いたちました。
私はあれもこれも興味をもっては、石橋を叩くどころか、あることも気づかずどんどん進んでいくタイプ。
小さなことでもいいから100個ぐらいかいてみよう!と意気揚々とノートに向かいました。ポンポンとやりたい事がでてきてテンポ良く書き始めましたが、次第にスピードダウン。今の私の成し遂げたい事は30個ぐらいでした。
そのなかのひとつに、障がい若者の居場所づくりの場所をみつける、というのがありました。
居場所づくりをやりたいと思ったのは、短大を卒業してから福祉作業所で働いていた時に、同じ歳の利用者さんが、家と作業所だけの往復になってしまうことに違和感を感じたのがきっかけでした。
2022年02月14日(月)
No.551
(日記)
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