ハートフルコーチの泣き笑い日記

日々の発見やつぶやきなど。

ハートフルコミュニケーションが私にくれたもの


〜第18回「泣き笑い日記 オンライン・ホッとカフェ」(春カフェ)のご案内〜

【日時】2024年5月25日(土)10:00〜12:00
【参加費】無料
【方法】オンライン(ZOOMを使用します)
【お申込み】https://ssl.form-mailer.jp/fms/290b6c35765590

季節ごとの恒例、オンライン・ホッとカフェでは、日記を読んでさらに知りたくなったこと、聞きたくなったことを筆者に尋ね、参加者同士で語り合って、自分に活かせるヒントを持ち帰ります。春カフェで取り上げる日記は、

「ゴウに入ってはゴウに従え」
です。

この日記の筆者は、ジャカルタに転居し、カルチャーショックを経て異文化を受け入れるようになったことから、子どもや家族も"異文化”であることには変わりがないのに、なぜなかなか受け入れにくく、イライラしがちなのか、振り返りました。

子どもやまわりが「思い通りにならない」ことにストレスを溜めている方。
そこから抜け出るヒントを見つけに来ませんか。
前回までの様子はこちらでお読みいただけます。

★★★

兵庫の渡海です。
岩田さんの日記を読んで、全ての時間に意味があると思いました。その渦中の時は、一生懸命で見えなかったり、気付けなかったりするけれど、そこにはそれぞれの想いがあり、お互いを思いやる気持ちが存在している。それらの繋がりが、今を作っていると思いました。

今回、この最後のリレーブログを、子育てで悩み、苦しみの暗闇にいた過去の私に『私は学ぶ事でこんなに風に変われるんだよ』と読ませてあげたいと思って書きました。

今、私は、当たり前の日常に輝きを感じます。今この瞬間に在ること、存在自体が尊く、物事(存在)には良い・悪いは無い。“私“が物事をどう捉え、どう受け取るかだけで良い。だから私たちは、この瞬間の輝きを感じさえすれば、いつでも幸せの選択ができると気付いたからです。
この気付きは、息子や娘が私のもとに来てくれ、学びの中で気付かせてくれた最大のギフトです。

ハートフルとの出会いは息子の不適応に悩んでいた頃。真っ暗なトンネルの中を彷徨っているようで苦しく、誰か助けて! と切実に思っていた自分。息子の不適応に加え、娘の「みんなと同じ」ができないに苦しみ、娘を受け入れない私は母親失格なんだと、養成講座では毎回毎回泣いていた自分。
この時の、自分があったからこそ、今の私があるんだと思えます。

子どもが生まれるまで、私は、成果や、目に見える評価に価値があり、それが出来ない人間は努力が足りず価値はないと感じていました。そんな私のもとに、息子と娘が私の力ではどうしようもないこと(体力的・精神的・知的・そもそも生まれ持った能力の違い)を、ある意味強引に、残酷なまでに思い知らせてくれました。人生のしっぺ返しをされたように、私にとって苦しく辛い現実であり、これまで生きてきた自分の価値観の間違いを子供を通して突きつけられたのです。
2024年04月29日(月) No.670 (日記)

みんなのおかげ


安村さんの日記を読んで、これだけは!とお子さんに教えてこられたことが花開き素晴らしいと思いました。お料理のアイデアもきっと3倍になって返ってくるのではと思うと、安村家の食卓をのぞいてみたくなりました。

埼玉の岩田です。

長女を出産し退院した日は、まるで誕生を祝福するかのようにたくさんの桜吹雪が舞っていました。あれから22度目の誕生日。
今年の長女の誕生日には父と母と娘たちと総勢5人が集まってみんなでお祝いすることができました。一人でやってきたように感じていた日々でしたが、実はたくさんの人の力を借りて今があるということに気付いたことを書こうと思います。

かつての私は、何かひとつのことに集中してしまうと他のことも目に入らなくなってしまうところがありました。
例えば夫の介護中には夫のためと思い、無農薬野菜や無添加食品が良いと聞けば食材を探し回りました。市場に出回っている食材では限界があり、ネットショッピングや出先で見つけた健康食品など、来る日も来る日も食事のことばかり考えていて、それを調理して食べる頃にはヘトヘトになっているような日々でしたが、ある意味それが妻としての使命のようにも感じていました。
2024年04月22日(月) No.668 (日記)

教えてくれる?


記憶術のキモは


なんと偶然にも、昨年度は我が家も家族会議を開催していました。家族はひとつのチームに共感。やってみての後日談も聞いてみたいです。

東京の平沢です。
突然ですが、私は記憶力に自信がありません。たまに、昔あった出来事を克明に覚えている人がいて驚きます。うらやましい限りです。
以前聞いた話なのに、初めて聞いたとばかりに驚いて、逆に驚かれたりします。例えば、「え〜っ、●●さん、双子だったの?」と私、「いや、前に話したよ」と友人。
言われて、はたと思い出すこともあれば、まったく覚えてないこともあります。同僚から、「20年くらい前に、平沢さんのお姉さんのうちに泊めてもらったことがあるよね」と懐かしそうに言われた時は、本当にたまげました。確かにその同僚とは、仕事で姉のうちの近くに行きました。けれども、姉のうちに一緒に泊まったという、記憶がすっぽり抜け落ちている。我ながら空恐ろしい気持ちになります。

長年一緒に過ごしている夫からは、なかば呆れたように「本当におぼえてないの?」と言われることがしばしばあります。どうやら、私の脳内には鍵がかかる箱があり、体験したことはそこにポイポイとしまわれて、厳重に鍵がかけられてしまわれるらしい。いやいや、そもそも、脳の機能のどこかが欠落しているのかも・・・と、ことあるごとに思ってしまうのです(ちなみに暗記能力は普通です)。
家族や友人との間なら、「忘れっぽい人なのね、そんなキャラもいるよね」と許してもらえることも、こと仕事や家の重要なこととなるとそうはいきません。では、どうしているのでしょうか。
私の記憶力を助けてくれる心強い相棒…それは!
2024年04月08日(月) No.666 (日記)

やってみた! 家族会議


我が子を信じるお母様の態度から小さな鈴木さんがお母様との信頼関係やご自分の信念を築いていった過程を追体験させてもらって、私は親として子ども達に何を残せているだろう?と考えさせられました。

石川県の石垣です。さて、みなさんは【家族会議】をご存知ですか?
【家族会議】とは、問題を解決し、より楽しく快適に過ごすために家族みんなで開く話し合いのことだそうです。今日は我が家で始めた【家族会議】について書きたいと思います。

4月から6年生になる息子はとってもマイペースで、自分がやりたいこと以外はなかなか腰が上がりません。例えば、食べたお菓子の袋や、使い終わったマスクなど、ゴミ箱の場所や分別方法は分かっているのですが、捨てずにリビングの机や床、時にはソファーの下に散らかしているのです。他にも、制服は脱ぎっぱなし、脱いだ洋服が裏返ったまま洗濯籠に入っているなど、何度注意しても直らない行動の数々。

「またか…。」という失望とイライラが入り混じって、私は嫌味を言ったり、時には大きな声で感情的に怒っていました。温厚な夫も時には声を荒げてしまうほどの息子の行動に、夫婦共にほとほと困っていました。そこで、私は【家族会議】を開こう、と思ったのです。家族会議を知った当初は、話し合い学習が好きな息子にはいいかも!と思ったものの、「なんだか面倒くさそうだな…」と感じていて、2年越しの決心でした。
2024年04月01日(月) No.665 (日記)

信じることの意義


バイアスとの向き合い方


チャウさんの日記を読んで、レジリエンスを育むことは人生を謳歌するために必要なことだなと改めて感じるとともに、ネガティブな感情に寄り添い受け止め言語化することを自分に対しても、周囲の大切な人に対してもしてきたかな、と振り返るよいきっかけになりました。
ついついネガティブな感情を避けようとしてしまいがちな私ですが、レジリエンスを育むチャンス到来と前向きに、寄り添い受け止めたいと思います。

タイの瀧澤です。
先日、大学のオンライン授業でバイアスについて話し合う機会がありました。バイアスとは思考や判断の誤り、歪みのことで、誰にでもあるものだそうです。

思考や判断を誤らせるバイアスに、私はネガティブなイメージを持っており、自らが持つ認知の歪みをなくしたいと意識して過ごしているつもりでした。にもかかわらず、その授業で行った確証バイアスの例を挙げるアクティビティや心はどこにあるかの問いについて考察し意見交換をした際に、自らが気付かないうちにバイアスをかけていたことに気が付かされるという体験をしました。
この体験をしてから、これは私の中でバイアスが発生していたのだな、と思った出来事がありました。
2024年03月18日(月) No.663 (日記)

自分の感情に寄り添ってみたら


落合さんの日記を読みながら、私もカナダで長年暮らしている側の者として病院との関わりを振り返っていました。初期の頃、病院にいくのも恐る恐るで、ちゃんと症状を伝えられないのではないかと、辞書で調べて書き出してから病院に行っていたのを思いだしました。
おかげさまで出産を始めこれまで医療者の方々には親身にケアしていただき、今では信頼して通うことができています。相手はきっとわかると信じて、いろいろな表現で伝えようとしてくださること、本当にありがたいです。

カナダのチャウです。
保育や子どもに関わる仕事をしようとカレッジで学び始めて1年半が経ちました。学んでいくなかで、保育者として子どもをどのような対象として見るかという基本的なこどもの捉え方が、何度も繰り返しでてきます。それは、「子どもは有能で、複雑な思考ができ、好奇心旺盛で、可能性に満ちている」というフレーズです。

そして、元々このような存在である子どもたちにどんなカリキュラムや学びの環境づくりを用意できるのか、というのが私たち親や保育に関わる大人の在り方だと教わります。子どもにとっての学びは遊びの中にあるので、子どもたちが示す興味や関心をベースにそこから彼らの「面白いからもっと知りたい!」という自然な欲求を探求させてあげる環境づくりが必須と習います。

文はさらに、「子どもの家族は、有能で好奇心があり、豊富な経験をもった一人一人からなっており、保育者は、有能で、好奇心があり、豊富な経験がある」と続きます。このような見方を持った時はじめて、幼児期の子どもに、本当の意味でよい環境を用意することができるというのです。

実は、私はこれまでこの文言を読むたびに、どこか複雑な気持ちになっていました。
2024年03月11日(月) No.662 (日記)

伝わるように、伝える


出会いがくれた学びの力


兵庫の渡海です。子供との関係を作るには、こちらが素直になること。それが子供たちの素直な反応となり、親を育ててくれる。岩田さんの言葉に、私も自分がまず素直になることの大切さを感じました。

今回私は、幼少期の出会いがきっかけとなり、私の人生を照らしてくれている「学び」について、考えてみようと思います。

奈良県の田舎に育った私は、遊ぶところも少なく、多くの時間を図書館で過ごしました。
そこには、大好きな司書のお姉さんがいて、私がウロウロしていると「何探しているの?」とか、「これおすすめだよ」と私が好きそうな本を教えてくれたり。「これ読んでください」と言えばいつでもニッコリ笑顔で答えてくれました。この司書のお姉さんのおかげで、私は図書館が大好きになっていました。

そしてこの図書館で、私はたくさんの本と出会い、たくさんの感情を味わい、たくさんの自分が知らなかった物事や事実を知ります。その中の一冊が、『トミーが三歳になった日』です。
壁の外を眺める可愛らしい男の子の表紙に、美味しそうな食べ物、綺麗な花の絵やおもちゃに惹かれ手に取ったこの本は、チェコにあったテレジーン収容所に隠されていたスケッチブックに解説が足され出版された、ユダヤ人画家の本でした。
2024年02月26日(月) No.660 (日記)

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